曇り、気温はマイナスだが、風があるため体の表面の暖かい空気を奪うため寒さを感じさせる。

 最近は、日中晴れるため凍った路面の氷が溶けアスファルトが顔を出すのだが、直ぐに雪が降りまた路面を覆うと言う繰り返しである。そのひとつひとつが春への足音なのだろうが、その行ったり来たりの繰り返しにそろそろ気分は飽きてきた。

 家の餌台にりんごを置いていると、色々な鳥が来るようになる。最近は一日中ツグミが家の近くに居着いてしまったようで、朝まだ夜明けきらない前だというのに既に餌台のりんごをついばんでいる。

 そして日が昇ると直ぐに、シメが数羽餌台にやってきて、既に来ているつぐみと場所の取り合いをし、そして最後にヒヨドリがやってくる。

 

 去年の秋に、餌台を窓の近くに移したので、居間から餌台が至近距離で見ことができる様に成った。更に雪が庭には大量に積もっているので、本当に窓の近くまで寄ってくる。その様は、動物園の行動展示と言えるだろう。これは少し大げさだが、鳥の羽の模様や彩りがはっきり区別できる。

 暇なときは、その姿をじっと眺めているとそれなりに暇つぶしになる。春先は鳥の繁殖時期に備えて餌をつがいで探しまわる姿を良く見かけるが、ツグミは一羽で行動しているようだ、実は、もう一羽別にいるのだが、つがいでは無いようで別行動を取っている。

 それとヒヨドリは別で、一年中つがいで行動することが多く、庭に来ている時も、一羽が餌をついばんでいるとき、少し離れた所に泊まり見張り役をしている。鳥も種類によって行動が違うことが良く分かる。

 更にいえば、その鳥の同じ種類のものでも警戒心が強い鳥と人が近づいても中々逃げないような鳥がいて、個性がある。

 

 これも人間と同じなのだと思う。どうしても何かを表現するとき、人間は、とか犬はとか類型的に型に嵌めて意見を言うことがあるが、その人間と種類を限定することは出来ないものだとつくづく思う。

 人間ならそんなことはしないといえば言うほど、人間として有り得ない行動を取る。それも、自分の基準とする人間の姿があるだけで、自分からみて人としての基準を超えているだけで、その超えている本人からしてみれば、その行動は当たり前なのかもしれない。

 あの鳥でさえその行動に個性があるのだから、人に個性があるのは当然である。まあそれでも、人の道から外れた行動は謹んでもらいたいものである。