雪、そらは明るい。そこから羽毛が漂う様にふわふわと落ちてくる。

 その雪が、昨日の夜から朝まで10cm以上積もっている。

 外は、寒い。間違いなく真冬の寒さである。この天気は、ここ一週間は続きそうである。

 最近の新聞、TVは少し異質である。グローバル社会を日本が迎えるにあたって、何も国粋主義である必要は無い。それでも日本と言うアイデンティティを失う必要はないだろう。

 それを失っては、日本と言う国家はこの世から消え去ってしまう。今の日本に必要なのは、日本を卑下するものではなく、やはり日本と言う名のもとに集まる人達が必要なのだろう。

 今、外国人参政権の問題がある。その問題の本質は、在日と呼ばれる人たちだろう。日本に永住しながら日本国籍を持たない人たちだろう。

 その過去の生い立ちには不幸な面もあるだろう。しかし、その歴史もやがて過去のものになりつつある未来へ向けての論議も必要になるはずである。

 

 この先、何百年先も今の状態で暮らすことは、日本と言う国の存在を脅かすものになる。何故なら日本人という国籍を持たない人が日本の人口の大半を占めたときそこに日本と言う国家は存続するだろうか。

 

 その点は、やはりこの先の未来の為に決めて置く必要がある。もしかすれば、100年先の未来に世界の国境は消滅するのかもしれない。しかし、その予想が外れた場合のことも考えて置く必要がある。

 

 この先の未来は、やはり異なる民族だとしても日本の国籍を持ったものが、日本と言う国に住む必要があるだろう。その議論無しに地方の参政権を認めるのは本末転倒だろう。

 まず日本が日本であるべき根拠を明らかにいするべきだろう。EUがまだEUであるのも国としてのアイデンティティを失わないため国境が無くならないがためである。

 もし、東アジア共同体の様な構想が有ったとしても、そこに国と言う存在を無くすわけにはいけない。初めに日本が無国籍国家に成ったとしても、それ以外の国が国家を維持すれば日本は占領されたも同然である。

 自分たちの行く末を自分たちで決められない国になってしまうだろう。

 何故今の日本がこの様な無国籍国家を目指すのか、それは、まさしく全共闘世代の甘い考えを持つ世代が国を動かしていることに他ならない。

 若い世代に植え付けられた「フリー」と言う言葉が亡霊のように頭の中に住み着いているのだろう。

 

 確かに、権力や風習などに縛られない生き方は自分にとって自由だろう。しかしその自由を求めて何もかも破壊されることは、それを失うことで支障をきたすと考える世代にとって傍迷惑でしか無い。

 全共闘世代が破壊した秩序が元にもどるまでの反動で色々なことに制約を受け更に新しい秩序の再構築に振り回されたに過ぎないのだ。

 自分は、人つの価値観を押し付けられるのを好まない。正しいと言われた価値観が簡単に壊され、それ以外の何が正しいのか判らない時代に生きてきたからである。そのあいだ大人の醜さを嫌と言うほど見せつけられ育った世代にとって、自分で判断し意見を明確にすることの困難さから、意志を明確に表さないで生きてきたのである。

 

 そろそろ変える変わる時期に日本は来たのである。色々な問題をここらで未来に向けた考えをまとめる時期でもある。