鳩山弟

 快晴、空に見渡す限り雲は無い。気温も零度近くだが、この程度の寒さなら充分耐えられる。本州では既に桜の開花も聞こえてくるが、北海道の樹木も既に枝の木の芽は膨らんできている。


引用 日経ネット(http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100317ATFS1702Q17032010.html

鳩山邦夫氏、孤立感深める 与謝野氏ら執行部刷新に重点

 自民党に離党届を出した鳩山邦夫氏が孤立感を深めている。連携を呼びかけた与謝野馨氏や舛添要一氏らの陣営が谷垣禎一総裁を除く執行部の刷新を求める戦略に重点を置き始めたためだ。

 与謝野氏や園田博之氏を柱とする「正しいことを考え実行する会」は17日の会合で「自民党の支持率が上がらない現実を執行部は深刻に考えないといけない」として、大島理森幹事長ら党役員の一新を谷垣氏に直接求める方針を決めた。後藤田正純氏は記者団に「首相と同じ疑惑のある邦夫氏と、『脱税王』と首相を批判した与謝野氏が組むことは論理的にありえない」と言い切った。

 舛添氏を中心とする「経済戦略研究会」の会合でも「考え方の違う鳩山氏の秋波に応えているような印象は避けてほしい」(山本一太氏)との意見が相次いだ。舛添氏は終了後、記者団に「新党をつくるとか、誰と組むとか、そういうことを先にするからおかしくなる」と苦言を呈した。(19:44)

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 今のところ誰も後に続く様な人物は居ないようである。

 元々この人は、異質な人であった。その異質さは、言動で判るものであるが、良く言えばお坊ちゃま、悪く言えば世間知らずである。どちらも同じレベルといえば同じレベル。

 

 頭のキレる、世間のことを良く知っている人ならこう言った立ち回りはしない。

 もし自民党の為に動くなら、まず自分の脱税の責任をとって議員辞職し、兄である民主党の鳩山総理にダメージを与えるべきであった。

 

 そういった事をせず、ただ離党して新党を作ると言っても誰も賛同しないし、できないだろう。

 その空気を読まなさは、生い立ちから生まれたものか、それとも生粋の自分かってな性格なのだろう。

 ある意味、従順で飼い慣らされた人間よりは、国会にとっては色々な波紋を引き起こす貴重なトラブルメーカーの一人に違いない。

 一般の会社組織の中では、オーナーでなければ排除されるべき内の一人ではある。

 ただし、今のままの自民党が今後も存続するかは不透明である。この先何年も政権政党にならなければ、選挙資金に借りた借金の返済もままならず、この先倒産の憂き目に合う恐れがある。

 そのタイムリミットは、次の衆議院選挙間でしか無く、もしその先に未来が無ければ、金の切れ目が縁の切れ目で、続々と離党者が出るだろう。

 

 もう少し、民主党が足元がフラついていなければ、次の参議院選挙で自民党の息の根を止められただろうが、如何せん余りにもやることがアマチュアすぎて、自民党の延命に力を貸している状態である。

 国民は、この不景気を引き寄せ、国の活力を奪った自民党には愛想をつかした状況で、民主党の対抗馬は「みんなの党」らしい。

 しかしそれでは、2大政党制のための小選挙区は意味を成さない。そうならないためにも自民党にはしっかりして欲しいものである。

 それは、自民党が昔、民主党に言っていた責任ある野党という言葉そのものである。

 それにしてもこれに伴って一番評判を落としたのは、舛添、与謝野両氏と言うことに成る。舛添氏に至ってはまさしく風見鶏という中曽根2世の名を受け継ぐに相応しい行動力であることが浮き彫りにされてしまった。この2人が総理大臣になることは未来永劫無いだろう。

 それにしても、自民党の看板は、小泉元総理が本当に壊してしまったんだなと思う。更に自民党員の政策立案能力は本当に無かったんだと言うことが明らかにされてしまった。今までの自民党時代の政治は、本当に官僚に良いように作られていたのだろう。それを黒子にして自分たちがあたかも政治を行っているように振舞っていたと言うことである。今の自民党に、民主党の政策を非難するいわれはないだろう。

 今回の政権交代で明らかに成ったのは、本当に国会議員に政治能力が欠如していて、国会議員の仕事は、如何に次の選挙で生き残るかに全精力を傾けていたのだと言うことが伺い知ることができる。

 しかし、官僚主導も正しい面があるのだが、それが自分たちの私利私欲に費やされたのは本当に残念なことである。

 確かにバブル景気の頃、民間と官僚の生涯給与の差が言われ、将来官僚の成り手が居なくなると言われた時代があった。その頃でさえ天下り先が用意されていたのだが、その差が開くことに対して、自分たちもその甘い汁をすいとろうとした事が今の現状を形作ってきたと言っても良い。

 

 それが無ければ、優秀な官僚が政策を立案するのは、正しい方策だったのかもしれないが、それが崩壊してしまった以上、国民の選択は正しかった。ここで官僚も自分たちの私利私欲のためでなく国益のために仕事をしてくれることを祈るばかりである。