アスペルガー症候群

 曇り、朝方は雨が小雨だが降っていた。気温は相変わらず低い。今週末は、また寒く雪が降るかもしれないようだ。

 もう2日前になるが、NHKで「アスペルガー症候群」の放送をしていた。

 昔なら何の事か判らなかった、或いはこの言葉すらなかったが、この言葉ができたことで世間に少しは周知されてきたのではないだろうか。

 アスペルガー症候群は、昔なら変わった子供または大人として見られていたはずである。放送されていたような行動をする人は確かに存在した。さらにアイシュタインがそれだとは知らなかった。

 あの放送を見て思ったことは、人は多かれ少なかれあの症候群に類することは本来身につけていることである。普通ならそんなことは周囲に気づかれずに済むような事なのだが、普段の生活でもそれが現出すると「アスペルガー症候群」と診断されてしまうのだ。

 同じ家に毎日暮らしその様子を見ていれば判るだろうが、普段何時間も同じ所で生活をしなければ中々他人の本質など判りはしない。判ったとしてもそれは上辺のものでしか無い。

 だから事件が起きれば「あの真面目な人が」とか「そんなことを起こすようには」とか言うしか無いのである。

 

 それと同じように、人間の本質は、自分だけにしか知り得ないし、もしかすると自分自身も判っていない場合もあるのだろう。

 アスペルガー症候群の多くの人が、思ったことをそのまま口にするという症状を共通して持っている。普通なら思っていても口に出さないことも口に出してしまうことで社会生活を送れないようになってしまう。

 確かに、正直に何でも話されてしまっては、人との会話は成り立たない。話しかけたことが直ぐに否定されたりすればやり取りが出来ないければ話しが続かないからである。だから話しを続けるために相槌が存在する。

 しかし、あの放送に出てきた人はまだ幸せである。普通の社会なら受け入れられないし、この先の社会状況次第では、排除される可能性もある。

 

 ただし、番組でも放送されていたが、あの症状を持つ人特有の優れた才能が存在する。そのことを役立つことに使えるような社会のあり方が正しいのだろう。