多剤耐性菌の話の続き

 曇り、真上の空には、何層にも重なった雲が眼に入る。上空の風は強くどんどん雲が流れている。気温は、22度前後と朝の気温としては依然高温で、更に湿度も高く、本当にジメジメしている。


 多剤耐性菌の話の続き。

 この問題は、ある一病院の問題と成らない。何故なら日本或いは世界が同じ問題を抱えているからである。

 日本は、長寿国家と言われている。実際、男女の平均寿命は世界1であり、江戸時代の倍、人は長生きするように成った。それは、医学の進歩によるものが多い。

 昔、40歳を過ぎると老人と言われた世代になれば、ちょっとしたことで命を失った。今でなら救える病気や怪我でも治療法が無いため、その人の生命力が全てだった。

 しかし、今では重症の肺炎を起こしてもそれから回復することができるように成った。それは正しく医学の力によるものである。

 現代社会、それも日本にいる人の常識は、必ず病気になっても助かるという漠然とした思い込みが既に存在する。命を失うことは、間違いが起こったという理論である。だから間違いを起こした病院の責任を何がなんでも追求しようと思うわけである。

 今回の事件も、助かる人の命を、無責任な体制で助けることの出来なかった病院は、叩かなければイケないという理論に摩り替わってしまう訳である。

 実際のところ、これがアマゾンの奥地にある医療施設に入院していれば、問題と成らなかったのだろうか?大学病院というブランドと日本の医療施設だから問題となっているのではないだろうか?

 多剤耐性菌は、人間が作り出した細菌である。それは、人が長生きするために作り出した薬が引き起こしたということをもっと人は知るべきである。

 人が進化してきたように、細菌レベルでも進化をし続ける。その進化の進み方は、必ずしも人間の味方でなく、人に敵対する進化もありうるのである。

 人は長生きをするように成った。しかし、それは決して死なないということとイコールではない。人間はいつか死ぬ。それが事故なのか病死なのかはたまた事件なのかは判らない。

 

 今後、この多剤耐性菌の問題は、大腸菌等に留まらず、インフルエンザウイルス、結核菌、色々な細菌、ウィルスで問題となっている。

 

 人の寿命を伸ばすには超えなければならないハードルが幾つも待ち受けている。