寒波

 曇、東の空から朝日が登り始め空の一部を真っ赤に染めている。言葉の表現はそうなるが実際その色は、赤と言うよりオレンジ色に近い。太陽の色を真っ赤に書いてしまうが、赤い太陽は存在しない。どちらかと言うと白或いは黄色である。

 今日の朝の気温が、マイナス15度であった。連休中は寒い日が続いた。これも北海道の一部と言えば一部である。
 しかし、これだけ寒いと本当にストーブのありがたさが良くわかる。まあストーブと言うより火の暖かさが本当のところなのだが、やはり暖かさ伝える言葉にストーブというのが適切である。

 もし、ストーブがなければ北海道に住むことは困難だろう。大昔の縄文時代は、今よりも北海道の冬は暖かったのだろう。自分の住んでいる近くで発掘される縄文時代の住まいは質素なものと想像されるからである。
 何故なら、藁や萱で吹いた建物だったら余程丈夫に作らなければ雪の重みで倒壊してしまうだろうし、冬の間の食料を考えると充分な食料を手にいれるのも困難だと思うからである。
 
 その昔に時代から相当な時間が経ち、徐々に積雪が増え今の状況に至っているのだろう。だから本当は、地球は温暖化に向かっているのではなく氷河期に向かっていると考えるべきなのだろう。
 だから今の温暖化対策が無駄だとは思わない。間氷期から氷河期に向かう間の期間が穏やかに迎えばそれなりの対応が人類も可能だろう。しかし、今の人類の生活は、そういった穏やかな変化に向かわせようとしていない。そういった意味で地球環境を考える温暖化という発想は大事なことである。

 また話はストーブに戻るが、ストーブの炎は心を休める力がある。あの炎のゆらめきを見ていると心もそのリズムに合わせて変化をするようになる。あの正確ではないゆらぎが心をおちつかせる要素なのだろう。
 
 これから2月にかけて徐々に寒さが厳しくなり、日によってはマイナス20度を超える日がやってくる。そういった日でも、家の中で下着一枚でも過ごせる環境があることのありがたさを感じなければならない。