閉塞感

 曇り、朝の気温は、マイナス10度近くに下がっている。

 オリンピックの放送が朝になっているので、何時もの出勤時間が判りにくい。今日もノルディックの複合の距離があり、ゴールまで何も出来なかった。
 それにしても、昨日の上村愛子選手の第4位は、本当に残念だった。もう少しと思える差があと一歩のところで実らなかった。


 いつの頃からか、日本は、頭の上を厚いドームに押さえられてしまったようになってしまった。それは小泉さんの時代に格差社会と言う言葉がではじめた時だろうか?
 
 その閉塞感のエネルギーが政権交代で一時期はじけたが、その後の景気後退でまたもや吹き飛び、一時の反動は、またもや何をやっても無駄であると言うような厭世観を更に助長した感が有る。

 今の社会の問題点は、格差社会に代表されるように、富や権力の偏在に有るのは間違いない。歴代の総理大臣が、親の地盤を受け継ぎエスカレーターのようにあたかも当然のようにトップに上り詰める、それを周りが当然のように受け入れる空気を作ってきた。
 更に日本の富は、一部の富裕層が独り占めし、再配分が行われない仕組みが確固たるものに成ったことが、若者から覇気を奪い去った。それが今の時まで続いたことが日本の衰退を招いたと言っても過言ではない。

 今の日本を動かしているのは、まぎれも無い全共闘世代で有る。60年安保に代表されるように権力に歯向かう事で自分たちの鬱憤を晴らし、そしていつしかその熱気が収まれば都合よくその思想を捨て権力の側に付くと言う、ある意味自分勝手に生きていた世代が舵取りをしているのだものうまく行くわけがない。

 そしてその下の世代は、自由こそが全てであると教えられ、それでいながら権力に歯向かう事を放棄した世代に教育を受け、権力に歯向かうことの虚しさを教えられた世代でも有る。
 自分たちがあれ程毛嫌いした教育に対して、自分たちが当事者に成った途端、自分の子供には良い学校良い会社に就職することが目的のような競争社会に持ち込んでしまった。

 その競争は、あれ程毛嫌いした権力構造を自分たちの力で更に補強する力と成ったのである。権力を毛嫌いしながら権力構造を維持するための努力をせっせとこの50年間やってきたわけである。そして出来上がったのが今の日本で有る。

 今の日本で、自分の環境を変えようとするなら、手っ取り早い方法は、犯罪を犯すしか無い。しかし、犯罪者会もれっきとした階級社会であるから、その中で生きて行くのも簡単なではない。学校で落ちこぼれアンダーグラウンドでも落ちこぼれ、強盗やちっぽけな犯罪に手を染め周りに迷惑をかけながら落ちぶれていくしかないのである。

 この閉塞感を感じている国民はいつか爆発する。その爆発が、政治に活路を求めたのにそれが裏切られれば、次の爆発は別な方向へ行かないとも限らない。

 中国は、その不満を経済発展と言う別な方向へ舵取りすることでかろうじてその破綻を防いでいるが、もし経済発展が弾けてしまえば、そのエネルギーは別な所へ向かわざる終えない、それは、どの新興国にも言えることである。 

 今先進国の勢いはかってのものではない。世界のどの国もが自分の足元の事しか考えられなくなってしまっている。自分の足元さえ確保できれば他国のことなど眼に入るはずが無い。
 これ程世界が緊張し始めているのに、この先の課題を見ること無く、他人の揚げ足を取ろうとばかりしている国に日本はなってしまっている。

 これ程、世界に無防備で国内の問題に汲々としている様は滑稽である。今こそ国民がしっかり目的を持って進む時期なので有る。
 それは、まさしく国を上げて経済危機に立ち向かう努力をしなさいと言うことである。
 これは、形を変えた戦争でもあるので有る。いかにして既存のシステムを穏やかに変えながら新しいシステムを作り上げることで、利益構造を変革させ、その改革の選なルギー経済発展に向かうようにしなければならない。
 そうでなければこの時代の閉塞感を打ち破ることは出来ないだろう。