雪の記憶

 曇り、気温は相変わらず低い。日中気温が高く、朝方低いと言う繰り返しが、庭の雪を固め、ゆっくり歩けば今までの柔らかかった雪と違い埋もれずに歩くことができる。
 
 この現象は、この時期特有のものである。昔、このしまった雪の上を歩きながら雪解け前の田んぼに馬糞を馬のソリに引かせ撒いて歩いた記憶が蘇る。
 あの頃は、融雪剤の替りに馬糞を撒いていたのだ。今思えば一石二鳥の非常に合理的な方法である。
 
 その雪の硬さも日中になれば緩み、時折足がすっぽり埋もれてしまうこともあった。それを抜き出すのもそれなりに面白い出来事だった記憶がある。
 その後、馬もいなくなり、融雪剤の黒々とした帯が田んぼに書かれている。

 雪といえば、昨日のACLの試合は寒そうだった。川崎など雪中サッカーをしていた。しかし、日本サッカーも一時期の勢いを失ってしまった。或いは周辺諸国が勢いをましたのかそれとも日本のレベルが落ちてしまったのだろうか。
 その一つが、日本人の精神力の変化だろう。事業仕分けではないが、「一番にならなくても良い」という意識が日本人の心に住み着いてしまったようだ。

 「一番にならなくても良い」という心構えは、心に余裕を生む場合あるし、勝利への執念を削ぐ原因にもなる。
 その心は、一流アスリートの「楽しんで試合をする」と言う言葉も同様である。勝利の執念で精一杯戦う結果が、最後に試合を楽しめたという感情を生むのであって、決して試合中にヘラヘラすることではない。
 その解釈の行き違いが、成績に繋がっているのではないだろうか?試合は、最初から楽しむのではなく、その結果が喜びに繋がると言うことをスポーツ選手は知らなければならない。
 
 最近、その楽しむと言う言葉があたかも免罪符のように成っている。国を代表して戦う場合、その試合、競技に出るために多くの人が涙を飲んだ事を忘れてはならない。そのことを忘れ、自分だけが試合に出たと言う思い出作りだけで競技を終えることは許されることでないし、それなら出場を辞退すべきことだろう。

 昨日の川崎の試合は、最終的には精神力の戦いだった。ある意味どちらに結果が転んでも良い試合だった。しかし、相手に2点目を入れられた時の川崎の選手の落胆はTV画面を見ていても伝わってきた。
 
 あの時点で、体力の消耗は、川崎の選手に戦う意欲を半減させた。あの体力の消耗は、どんな人でも経験するだろうが、前に進む気持ちを失わせる。そこで立ち止まって休んでしまうことが多い。
 その点が日本人に欠けている精神力なのだろう。あの体力が消耗して、前に足が行か無くなった時でも足を前に出せるような訓練をすべきなのだ。

 それを克服するのに、消耗しない体力はもちろんだが、へとへとになって今にも倒れそうなときに更に前に進ませる精神力を養う訓練も必要だろう。それが一流の選手を作ることができるのではないだろうか。