医師不足

 曇り、朝方は霧が掛り真っ白だった。昨日の日中は、長袖だと汗ばむほどの陽気だったが、今週は今日から天気は下り坂に向かい気温もシベリアからの寒気が南下してくるようである。


引用 日本経済新聞http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0EBE2E3938DE0EBE2EBE0E2E3E29180E2E2E2E2

医師2万4000人不足 厚労省が初調査、地域・診療科で差

 全国の病院などに勤務する医師が約2万4千人不足していることが29日、厚生労働省が初めて実施した「必要医師数実態調査」でわかった。都市部と地方に加え、診療科別でも医師不足に差があることが明らかになり、同省は「地域医療の再生に加えて、専門医制度のあり方について検討し直すことが急務だ」と話している。

 医師不足解消のため同省は来年度予算の概算要求で、医師を派遣・あっせんする「地域医療支援センター」を都道府県に設置するため17億円を計上している。

 調査は今年6月、全国の病院とマタニティークリニック計1万262施設にアンケートを送付。医師の求人数や求人の理由などを聞き8698施設から回答を得た(回答率84.8%)。

 この問題は、色々な要因を孕んでいるため通り一遍な解釈では、今後の日本の医療の方向性を間違う結果となる。

 一つは、都市部に偏在した医師の問題である。人間というのは、人が多くなれば多くなるほど怠けようとする人間が多くなる。それは医師という職業も例外ではない。
 
 たとえば、医師一人一人が100%の能力を発揮することが前提であるが、その場合都市部の医師数は足りているか余っている。それが足りないというのは、100%の能力を発揮していない医師が少なからず存在するからである。

 医師も人間であるし、人間の集団であるから必ず「2:6:2」のルールが存在している。

 では、それを補うためにただ医師数を増やせば事足りるかといえばそれは問題がおおいにあるだろう。それは高齢化社会のピークが2025年とされている。そのピークを過ぎれば老人人口は、横這いというより減少に転じる。2025年といえば後15年である。今医師人口を増やすために医学部の定員を増やしても入学して医師免許を取り研修が終了するまでに最短で8年その後3年程度修業を積み一人前と呼ばれるまでに11年の年月が必要である。
 
 そう考えるなら、医師が足りないと今から焦ってその人口を増やしても、その後医師過剰時代がやってくる恐れがある。確かに自由社会であるから競争原理で優秀な医師が生き残りそれ以外が淘汰される社会が来るかもしれないが、その淘汰される医師の中には、他の分野に進めば活躍できた人材が少なからず居た可能性がある。そう言った人材も含めて淘汰されることになる。

 また、このように医師不足が叫ばれているが、今後10年20年の間に日本の財政が高齢者の増加とともに増える医療費を賄えるだけの力があるかというと無いだろう。そのことだけはハッキリと断言できる。

 今までの国民の健康のために医療費を使うことは不可能である。その前提に立てば、医療ができる病院と医療ができない病院ときっちり分ける必要がある。

 何故かというと、今の医療は、医師が生活できるための基盤を保障するため、医療制度そのものがお金を無駄遣いする仕組みになっている。
 その一つが検査件数である。検査をすればするほど利益が上がる仕組みは、過剰な検査を生む。それは20,30年前から言われてきた。入院でこそDPCという仕組みができ過剰な検査は抑制されるようになってきたが、入院時の検査が外来での検査にシフトしただけで検査件数の抑制に必ずしも繋がっていないのが現状である。ここにメスを入れなければ国民の医療費の削減にはつながらないだろう。

 ただ今言えることは、国民の医療費を削減するために医師の偏在を含む問題を解決するために大ナタを振ることが今の政府にできるかということである。それができれば日本の命も長らえることができるだろう。
 もしそれができなければ、医療そのものというより日本自体が崩壊していくのは明らかである。国民は、痛みを享受するために小泉政権を選択し、民主党政権を選択したはずである。この先の未来が明るいと信じることができれば今の少しの苦しみは耐えられると思ったからである。
 
 今しか時間は無い。この先に明るい未来が実際に来るかわからないが、今のままでは暗い未来が来ることが分かっているのに何もせずにいることが社会の崩壊を生むのではないだろうか。