漬物

 曇り空、更に気温は低く、外はすでに冬の気温になってしまった。

 冬タイヤへの交換をする人が増えている。これも冬の備えである。自分は、文化の日にでも交換しようかと思っているが、このままの状態なら、その次の週の日曜日と考えているのだが、遅いだろうか?
 
 冬への備えと言えば、漬物を漬ける季節なのだが、その風物詩というべき光景がどんどん消えている。その最大の理由が面倒だということである。
 スーパーで一年中販売している物を、自分で用意する必要がないと考える人が増え、今まで漬物を自分で漬けていた人も、歳を取り自分たちの一冬食べる分をわざわざ用意しなくなったのである。それも時代の流れというべきことなのだろう。

 そのように、昔の時代は食料供給が滞ることが多く、それはまさしく生きるための方法だった。一冬持つように必要以上に塩分を使い、血圧が上がるような食べものを蓄えていた。それはまさしく減塩が進められる今の時代の要求に合わないものを作り続けてきた。
 だって、一冬持つようにするには塩分を必要以上に使わなければ最後の方は、食べれなくなることをその時代の人は知っていたからである。きっとその時代の人が今の暮らしをしていれば、もっと減塩した漬物を作っていただろう。もっと言えば、これ程近くのスーパーに食料が溢れていれば、それさえ作ることをあきらめただろう。

 時代が必要とするものを人は作り続ける。必要としないものを作る必要はない。もしそれが作られるとしたら最低限の需要を満たすものを作るだけである。
 このように、人が求める物を生産し続けることが企業の絶対的な論理である。最初は、希少価値であったものが、大量生産されそれが希少でなくなり本来の需要に見合う生産量になる。もしその材料が希少ならいくら大量生産しようとしても材料が存在しないのだから需要に見合う量が生産されず価格は高騰することになるこれが市場原理というものになる。
 希少な原料を持つ国は、自分たちの利益を確保するために輸出を制限する。それが石油でありレアアースである。原料そのものが利益を得る手段となるわけである。

 漬物は、野菜から生産される。野菜は、そもそも希少な原料で無いことと、製造方法がそれほど難しくないため、工場で大量生産してもそれほど希少価値を生むことは無い。なのに工場で大量生産することで、製造コストを引き下げ、各家庭から漬物作りを奪い去ってしまった。こうして産業は必要以上に動けばそれが惰性となっていつか競争相手がいなくなるまで製造が続けられる。
 
 本来ならあまり利益を生まない産業は、徐々に生産が縮小されるはずなのだが、一度産業が興れば、その利益を確保するためにどんどん効率化を推し進める。それが止まるのは利益率がゼロになるときである。
 
 こうして産業は、家庭からいろいろなものを駆逐し、商品を購入させるように仕向けてくる。すでに家庭から昔のような重労働を必要とする作業は殆どないともいえる。あと100年もすれば家事という仕事が存在しないだろう。

 それがバラ色の社会であるかというと疑問があるのだが。