無駄遣いも美徳

 朝、カーテンを開けると外は白一色に染まっていた。気温も相当冷え込みマイナス7,8度程度まで下がって今冬一番の冷え込みである。

 
引用 朝日新聞(http://www.asahi.com/national/update/1215/TKY201012140560.html) 

諫早水門、常時開門へ 干拓訴訟、首相が上告断念の方針

 菅直人首相は14日、国営諫早湾干拓事業(長崎県)で潮受け堤防排水門の5年間の開門を命じた福岡高裁判決について、上告を断念する方針を固めた。判決は確定し、干拓の事業主体の農林水産省は2012年度にも長期開門調査を実施、常時開門となる方向。段階的な開門は認めるという同省の路線を抜本的に転換する判断だ。

 何と無駄なことをするのだろうと考えるのが普通だが、こんな無駄な事と思われることを人類は永遠に続けてきたのである。

 エジプトのピラミッドなど、あの砂漠の中にあれほど無駄な建造物は無いだろう。しかし、今では観光名所として毎年何百万人もの観光客が訪れる名所なのだから無駄ではなくなっている。
 日本国内でも、自然の猛威で建物が倒壊したり、洪水により田畑住宅が壊滅しても尚、またそこで暮らす人がいる。初めから危険な所に住むこと自体無駄と思われるようなことを平気で人間は行う。

 それが今の時点で無駄だとしても、その無駄は人間が生きている限り無駄とは判断できないものである。無駄の中にも利益がどこかに生じるものだからである。

 無駄に出来るほどの財力がまだ残っているのなら、無駄もまた良しとするべきだろう。国民からお金を借りてまで無駄をするのはと言われれば、国民からまだ借金が出来るうちは無駄遣いをすべきなのかもしれない。
 これが収まるのは、国が財政破たんをきたした時に初めて無駄にお金を使えない時がやってくるのだろう。その時期が来るのを早めるのが無駄遣いであり、その重荷は、後世の時代の日本人が背負っていかなければならない。その時には、その無駄遣いを行った日本人の大半はこの世にいないことは間違いない。

 お金があれば浪費し、更に借金をしてまでお金を使い切ることなど普通の個人の生活でも当たり前に起こりうる。例えばマイホームを購入するなど、将来の収入を当てにして壮大な買い物をしているからである。将来の収入は誰にも約束されていないのだから、収入が無ければ破たんするのは当たり前である。
 国も将来の収入を当てにして壮大な借金をして公共事業を行い、そして壮大な無駄と思われる出費を続けている。作っては壊しなど当たり前のことである。

 あと何年この生活が続き、あと何年後にこの生活が破たんするのか見当もつかない。まあ、日本が破たんしたとしても日本は存在するわけで、破たん即国が消滅するなら国民は今の生活を変える必要があるのだが、そうでないならこの流れに身を任せるしか方法が無い。