日本

 晴れなのだが、まだ太陽は東の空の雲に隠れている。明日が冬至故に朝日が昇るのも限りなく遅くなっているわけである。北極に近い国は、日本より暗い日々を過ごしているわけである。

 気温は、さほど低くなくギリギリ零下くらいだろう。北海道に長年住んでいれば、徐々に体で外の気温が判るようになる。例えば鼻毛が凍ればマイナス20度近くに気温はなっている。


 世界景気は回復基調だという。それに比べれば日本は、円高の影響で輸出産業が好調ではなく苦戦している。エコポイント事業で内需を食いつぶし、次の一手が手詰まりの状況で、先行き不透明である。

 世界の景気回復基調が強まれば円高は円安に転じ、その結果何となく輸出産業が盛り返すことになるだろうが、バブル崩壊から失われた10年の間に、日本の技術的優位性は失われてしまった。

 では、それを補う何かが生まれてきているかと言えばそれもなく、何となくこのまま世界の中に埋没しかねない状況ではある。

 ここで色々勝手なことを書いてきているが、日本という国が本当に日本であるためには、やはり国民が一つの旗のもとに集まれる環境を作ることが必要だろう。それは国旗国歌という限定されたものでは無く、日本人の誇りを如何に国民が持つかという漠然としたものである。

 国旗国歌問題は、日本に国旗国歌がいらないというものでは無く、同じ旗の下に集うために必要な旗のデザインをどうするかという問題であったはずである。更に国家も簡単に言えば、国民が誰もが口ずさめる国歌をどう決めるかという問題であったはず。

 それがイデオロギー的な対立を生むことで本来の国家国旗論争から遠く離れたところで議論され、対立を作るために道具とされてしまった。
 
 思想信条の違いは当然あるだろう。しかし、その違いを乗り越えて日本国民としての誇りを持てる何かを持つ必要があるのである。そのもとでは思想信条にかかわらず日本人として集うことが出来る何かである。その集まりに於いては、肌の色、話す言葉が異なっても関係が無い。

 そういったものが今の日本には存在しない。あるのは、意見の対立であり、この均衡を壊そうと考えるか、日本に対する帰属意識を失った存在になるといったものである。

 もしこのまま移民を受け入れをするなら、日本は、日本という価値観を失い、ただの中継地点となってしまうだろう。それこそが自由だという人もいるだろうが、そこで一生終える人間にとってこれ程不快で不安なことは無い。