日常

 晴れ、少し雲が残る青空である。気温はマイナス5度前後である。まだ道路わきに山積みの雪は残っているが、風景はすでに春の終わりを告げている。

 もう少しで4月である。あの穏やかだった日々がいつの間にかこんな日本に変わるとはだれが想像していただろう。あの大地震から既に2週間以上が経ち、避難をしている人や、復旧作業を行っている人たちの疲労はピークになっていることだろう。

 休ませることができるなら休ませたいがそれもできない状況である。まだ多くの人が行方不明ということで取り残されたままの状態でそれを方向転換するには勇気がいる。しかし、前へ進まなければ何も始まらないのも事実である。

 テレビもそろそろ平常運転に近づきつつある。それが良い悪いを別にして、震災に遭わなかった人々を平常の生活に引き戻そうとする。それはある意味無常ともいえる。それは被害にあった人被害に遭わなかった人という明確な線引きを始めたことに他ならない。

 皆が、また同じ日常を取り戻せたなら良いが、間違いなく平穏な日常を送る人とそれができない人が存在し、その人々の幸せを見せつけられることになってしまうからである。

 

 今は、日本全体が喪に服した状態だが、そろそろ経済活動を取り戻さなければいけない時期に来ている。今まで自粛していた日常も、通常通り飲んで騒いでの度を越した日本の姿に戻らなければならないだろう。テレビがその先陣を切って開始するのだろう。

 

 それが日本のあるべき姿ならそれも致し方ない。しかし、これを境に日本のあるべき姿を変えていっても良いのかもしれない。面白いということがすべてではなく、軽佻浮薄が世の中の風潮であったものが、これを境に変わっても良いのではないだろうか?

 大量のエネルギーを消費し、生活資材を無尽蔵に消費しつくす生活を今から変えても良いのではないだろうか?毎日電気の力を借りて夜空を煌々と照らす必要など本当は無い。

 原子力発電ができて24時間休まず電気を供給できるようになってから、夜中も電気を使う必要が出てきた。そして町には明かりが照らされ夜も昼間のような生活を送るのを容認してきた。しかし、本当に日本に必要だったのは、夜の明るさでは無く、夜空の星の輝きだったのではないだろうか。

 原発事故をきっかけに日本が変われば良いなと思うこのごろである。