マスコミ

 曇り時々晴れ、空の大半を占める雲の間から時折太陽が顔をのぞかせる。空気は少し湿気を帯び生ぬるい。

 

 昨日書いた、フジテレビ韓流批判のその後だが、マスメディアはどこも無関心を装っている。新聞、雑誌に載らなければニュースにならず、意図的に載せなければそれで自分たちの業界は安泰だということである。

 マスコミにとって自分たちが情報を主導するのであって、一般人がニュースを発信することは許せないことであり、自分たちの業界を脅かす存在は無視するということなのである。

 確かに対応の選択肢として有りうる。問題を放置すれば何時か静まり何事もなかったように時間が過ぎ去っていくことは今まで何度も繰り返されていることである。

 ただその繰り返しが増えるごとに、情報発信と拡散の舞台が新聞、TVから徐々にネットへと比重を移しつつあるは、今となっては明らかである。

 

 まだ、新聞、TVの報道を情報の取得手段として利用している人口も無視できない数であるが、情報を得る手段としてネットや携帯、スマホを利用する人口が既に主流になってきている。

 そしてあと十年もすれば、情報はネットから得るという人口が大半を占めるだろう。

 そういった情報社会の潮流を今の保守化したマスコミ業界自体が取り入れられなくなってきたことを今回の事件は象徴している。

 一時期不二家の問題をテレビが追及し、会社を倒産寸前まで追い込んだ。あれがマスコミの影響力の最後のあだ花と言えるのかもしれない。今後は、ネットが会社をつぶす影響力を持つかもしれない。既にその流れはできつつあり、それを阻止するために今の既得権益グループはスクラムを組んでそれを阻止しようとしているともいえる。

 しかし、時代の流れは、進み具合は多少遅くできるが、流れをせき止めることは不可能である。流れを堰き止めようとするあまり間違った方向へ流れを変えることの無いようにだけすべきだということを今の権力者たちにはお願いしたい。


 昨日、松本山雅の松田選手がお亡くなりになった。日本代表として活躍された彼の姿は、サッカーを愛する者にとって忘れえぬ存在であった。