晴れ、昨日は雨で比較的暖かかったが、朝の冷え込みは厳しい。水たまりの表面は薄氷が張っている。
メキシコは、現在、麻薬カルテルの力が国をも動かすほどの勢力になっているという。
初めは、アメリカと国境を接する地にあり、巨大消費国へ向けての麻薬の流通拠点で有った。
そしてその長年の流通に係ることで利益を得、そして資金力は富、麻薬流通そのものを一手に引き受ける人物が現れるようになった。
資金力が有れば、それなりに地域社会に裏の顔を隠して溶け込むことができる。そしていつの間にか地域の有力者になり、はては国会議員を生み出すことも可能になった。
今では、その犯罪組織を告発することで命を失う人間が多くなり、警察組織の人間でさえ抵抗力を失っている状態である。
例えばメキシコのように、表と裏のネットワークが縦横無尽に張り巡らされた社会の中から、黒い部分だけ取り除くことが自国民だけでできるだろうか?
それは不可能だろう。白と黒の中間の灰色と言っても明確な灰色があるわけでは無い。その灰色は、黒ずんだ灰色から白が少しくすんだ灰色まであるのだから、明確な区別はできない。
できるとしたら明らかに黒い部分を取り除くか、灰色でもある基準を決めて線を引くしかない。
しかし、その取り残された灰色の部分からまた黒色の部分が生まれるとしたら、永久に終わらないだろう。ましてや、国全体が白黒を見分けられない状態だとしたら、誰もその国を変えることは不可能に近いことになるだろう。
では、日本は果たしてどうなのだろう。日本国内にも、明らかに黒い部分の人間はいるわけである。更にそこから国会議員も生まれている。
表向きは灰色であるから、誰もがそれを排除できない。しかし、確実に裏稼業の人間のために力を使う。
そのわずかな援助が積み重なれば、それなりに資金力を蓄え更なる影響力を行使するようになる。
その姿は、人間に寄生するウィルスにも似ている。いくら人間の体から排除しようとしてもその姿かたちを変えられると排除しようがないという事である。
その特効薬が無ければ、その寄生する人間をも死に至らせることがあるという事である。
上に上げた例は、犯罪組織の例だったが、それは、宗教にも言えるし、政党政治もその一種かもしれない。
自分たちの命を守るために、排除しようとしても、その力をコントロールすることは非常に困難である。
そして、本来の人が人として生きる社会というものの基準はどこにもないことに気付くのである。
自分一人の基準とするものはおぼろげにあるが、それが全ての人間が考える基準ではない。
更に、いま日本に住む人間の大多数が考える基準でもない。その基準は、ある一定の支配者が考える基準で動いているのだ。その基準が個々の人間の許容範囲にあれば社会は動いていく。
北朝鮮の政治が、普通の日本人から見れば異端でも、北朝鮮に住む人間の許容範囲内であれば国は動くのである。