技術力

 小雪がちらつく朝である。気温もマイナスだが0度近くだろう。昨日の日中の高温で積もった雪が20cm程度低くなってしまった。
 解けない雪は無い、どんなに辛い事が有ったとしても何時かは必ず消えてしまうと言う事を教えてくれるようだ。

 徐々にではあるが、日本の経済も回復基調にあるようだ、ただその利益を国内投資に向けるのではなく海外投資に向ける傾向にあるようだ。

 ある意味今までの歴史から、日本の国内需要は多寡が知れていると学習している経営者がそう判断しているのだろう。

 しかし、今まで言われていたのが国内需要を高めろと言う事であった。儲けた金を国民の生活向上に繋げる事が国の財政を潤し更に国民に帰るという循環を生み出すはずである。

 ただ、過去と違う事は、日本の経済発展の原動力であった多くの第2次産業が徐々に空洞化していることである。
 
 経済成長期に作り出される工業製品の殆どがメイドインジャパンであったものが、今では中国であったり韓国であったり、その他の国であることが殆どになり、既に工業立国であった日本は現実にはもう無い。

 工業国であった日本が、そうでなくなったとしたら何で利益を上げるとしたらまさしく技術力を輸出してものを作りそのノウハウで利益を上げるしかなくなって来た。

 しかし、その技術力もいつまでも諸外国が低レベルと言う事にはならず、日本のものづくりのノウハウを得た国は、いつかは日本に追いつき追い越そうとし始めていると言うのが今の時代である。
 
 もう既に日本が他国に比して優位性を保てる技術力は枯渇しはじめている。それは、技術力を生み出すシステムが上手く機能していないと言う事に他ならない。

 日本人が文明的な生活を送るために引き継がれてきた技術を生み出す方法もいつしか忘れ去られ欧米の近代的なマネジメントが主流になってその伝統は失われつつある。全てが画一化したマニュアルと言うものにそって技術は生れるものと信じ込まされている。

 しかし、新しい発想はマニュアルの通りの作業からは決して生れてこない。全く新しい方法は、マニュアルを逸脱したところから生れる。
 そしてその新しい方法は時として安全性を犠牲にするところから生れる場合もある。安全が重視される時代にマニュアルを無視した行いをすれば非難され処罰を受ける時代にあって新しい発想を生み出す原動力を得るにはどうしたらよいか考えなくてはならない。