新しいマスコミは誕生するのか

 晴れ、少し空は白く濁った様になっているが、雪の予報はまだ当たっていない。昨日の夜は風も強かったが、それも今は収まっている。

 

ネットサーフィンしていてたどり着いた記事

「朝日新聞が、世間の感覚とズレにズレている理由」(http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/11/news010.html

 記載された時期は、2010年8月と既に古くなってしまったが、徐々に最近の違和感を覚える新聞記事の論調に対して自分一人感じていたのではないことを目にして安心した。

 

気鋭のジャーナリスト、上杉隆氏、相場英雄氏、窪田順生氏の3人が、Business Media 誠に登場。「政治評論家に多額の資金が渡った」と指摘されている官房機密費問題や、メディアが抱える問題点などについて語り合った。

 対談を記事にしたものである。

 またこの件に関して、上杉隆氏が追求していた官房機密費の件を大手新聞社が何故追求しないのかが明らかになっていて興味深く読ませてもらった。

 新聞が今まで正義の使者であると誤解していた国民も多いだろう。「強きを挫き弱きを助く」物だと思っていたのが、あくまで強きは、利害関係のない相手が権力を持っていれば叩くということであり、同じ犯罪を起こしても、弱き者が何の権力を持っていなければ、とことん犯人や被害者の周囲を漁り回り個人情報を披露していく。

 一点、何らかの圧力がかかる関係者に対しては、記事も及び腰になり通り一遍の取材でお茶をにごす。それが、日頃正義を振りかざすマスコミの実態なのだということである。

 毎回自分は、マスコミ批判をするが、TV、新聞がいらないと言っているわけではない。正常な機能を果たしていれば、自分が知りえない事実を記事にすることは、情報を得るために当然必要である。
 その機能を果たすために、マスコミは存在すると言って良いはずである。しかし現実は、いつの間にか、マスコミの中に人脈が存在し、ある一定の距離でしか取材ができなくなってきているが既成の事実である。
 
 その距離感は、政治、経済、宗教、差別運動など多岐に渡るため、殆どのニュースが何となくツッコミ不足のような記事ばかりになる。何かバイアスが不自然に掛かりすぎている。

 更に海外取材も、最近は自社の記者が事件を取材するのは余程大きな事件でないと行われず、海外のメディアが取材したものを流すのみになり、相対的に取材力が低下しているのは否めない。

 その底の薄さを読者や視聴者が感じ始め、売上が落ち更に取材力や権力に気を使い質が低下するというようなデフレスパイラルに陥っていると言わざる負えない。

 本来ならそんな既成の権力と戦う新聞やTV局が出てくれば、売り上げは伸びるはずなのに、それができないのは、所詮マスコミの存在自体が、広告の売上に頼る活動しかできない事によるものである。

 本来なら新聞などは、毎月の購読料で会社が維持できるような仕組みにすれば充分運営できるはずなのに、それ以上の利益を生むために広告に頼る経営を行い、多くの役員を生き延びさせるために会社活動を行なっている。それは、既に社会の公器ではなく私利私欲に基づく活動に過ぎない。

 今後自分も、もし新聞TVに代わる情報源が手に入るようになれば、新聞は購読しないし、TVのニュースも見なくなるかもしれない。そういった編集の極力無い事実だけを伝える報道媒体ができないだろうか。