道州制

 曇り、気温は零度、風は無い。


 民主党政権になって期待したことは、大きな政治改革であった。その一つに道州制への移行があった。

 しかし、その移行など微塵もなく、震災に有ったことで、すっかりその議論は置き去りにされ、今ではすっかり大増税の話しか出てこなくなった。

 何故、自分が道州制に拘るかというと、このままでは、北海道に生まれ育った人間がどんどん地元からいなくなり、北海道が本当にまた蝦夷と呼ばれた頃のように未開の土地に変わってしまうのではないかという恐れからである。

 きっと都会に住む人間にとって北海道の更に奥の地域がどうなろうと知ったことではないだろう。
 札幌などの都市部に引っ越してきた人たちも、故郷を捨ててきたという思いをどこかに残しながらも、既にそこを離れてしまったことから、故郷を愛する気持ちが薄れてしまっているだろう。

 しかし、本当に北海道が豊かになるには、一度国と袂を分かれなければならないのだと思う。

 豊かさの基準は色々ある。お金が全てではない。給料が高くてもそれが健康的な生活を送れる保証が無ければ何の意味もない。

 その点北海道は、所得が低くても物質的な満足度は高い筈である。心の豊かさでいうなら、別に都会に住まなくとも健康であれば、田舎に住む方が豊かな暮らしができるはずである。

 このまま、日本の富を東京に集めても、決して人々の心の豊かさを得られることはできないだろう。
 東京に集めた金をまた地方に戻す循環を繰り返さなければ、日本の豊かさを取り戻すことは不可能になるだろう。

 今のまま行けば、大都市に人とお金が集まるだけである。その最たる東京一極集中を解消しなければ、日本の地方に人が居なくなってしまうことは明らかである。

 人は居て初めて人間が住む生活空間は作られる。人が居なければ数年で獣が暮らす土地に置き換わってしまう。

 まず北海道が獣の土地に変わらないようにするためには、やはり人が必要である。それも都市部に住むのではなく、田舎に暮らす必要がある。
 
 その人を増やすためには、北海道が支店経済から抜け出す必要がある。いくら大きな会社が多くあっても、利益が本社に吸い上げられ、税金として北海道に帰って来るだけでは、未来は無い。東京が風邪を引けば北海道が高熱で倒れるような、そういった依存関係を解消するためにも、北海道は日本から独立する必要があるだろう。

 もう既に、北海道の地方は疲弊し、北や東に行くほど人が住まなくなった土地がどんどん増えている。このまま地方の高齢化が進めば、10年もしたら人の住まない土地は、今の倍以上になってしまうだろう。