鈴木宗男的

 曇り、更に気温は低い。夕方は、吹雪の予報だが、雲の色は午前中にも雪が降り出しそうな空模様である。

引用 スポニチ(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/07/kiji/K20111207002191270.html

鈴木宗男氏、仮釈放「生涯政治家、変わらない」

 受託収賄など4つの罪で服役していた新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員(63)が6日、仮釈放され、国会内で記者会見を行った。スーツに緑色のネクタイ姿の鈴木氏は「生涯政治家という考えは変わらない。次のステージを考えていきたい」と述べ、政界復帰に強い意欲を示した。ただ、鈴木氏は来年4月の刑の満期から5年間は選挙に立候補できない

 出所(仮釈放)のお祝いに、鳩山元総理、小沢議員が駆け付けたというニュースを見て、それ程節操が無いのが政治家というものかと痛感させられた。

 ハッキリ言えば、政治家は罪を罪と認識していない。それは、小沢議員が司法を痛烈に非難する姿からもいえる。
 三権分立が憲法で保障されているため、立法を司る国会議員は、不逮捕特権がある。それからいえば国会議員自身が特別な存在だと考えているのだろう。
 
 それにしてもあからさまにお祝いの言葉を述べる姿は滑稽でもある。

 今の日本に、確かに鈴木宗男的人間が求められているのは確かだろう。人が躊躇するところを強引に突き進み、仕組みを変えていく姿は、確かに勇ましく恰好が良い。
 それに伴って湧き上がる土埃も、称賛の対象になってしまう。しかし、それも一時的なもので、彼が突き進んだ後に残された泥や埃をせっせと掃除する人間も必要になる。

 誰かが汚し誰かが掃除するその繰り返しが世の中であるのだろう。

 もし、鈴木宗男的やり方でもう少しきれいに行動できたなら、今世の英雄に成れただろう。それが出来る人を世の中が欲していることは間違いない。

 その期待の一人が大阪市長の橋下徹さんだろうと思う。しかし表に立つほど、要らぬ風にさらされるものである。そこを上手く切り抜けることができれば、将来は総理大臣にという声が出てくるだろう。
 
 本人は清濁併せ飲む人であるから、果たしてこの人気が何時まで続くのか生暖かく見守っていくだけである。