変われるのか

 雪、昨日の夜中から降り始めた。日本海側は、大雪になっているが太平洋側は左程でもない。この冬型の気圧配置は当分弱まることはなさそうである。

 民主党の公共事業政策は、国民の支持は得られていなさそうである。まず今回の大震災の復興に国のお金が使われているのに、来年度の予算に、八ッ場ダムの復活から始まり、東京外環道、北海道新幹線というように、官から民への掛け声もどこかに消えたかのような財政出動である。

 これ程のお金をどこから調達するかと言えば、消費税になるらしい。国の予算に占める社会保障費の割合が増えて行き更に巨大公共事業で税金が使われていけば、懐は空になり借金が増えて行くことは小学生も承知だろう。

 まさしく規律無き財政出動ということになる。きっと官僚的には、世界的不景気に対する公共事業への投資は、善であるという考えだろう。

 その辺りの世論の乖離の整合性を作るのが政府の役割だが、如何せん政府の中にその役割を果たすような人物は誰も居なかったということだろう。

 将来的にも国債は償還されない借金となって積りに積もって行くだろう。これは国が借金を返さないという宣言に等しい。それは普通なら自転車操業というのだが、破綻する将来に責任を持たない今の世代にとって、奈落の底へ落ちるならとことん途方もない借金を抱えて飛び込もうという算段なのだろう。

 日本人が本当に捨ててしまわなければならないのは、官僚組織なのかもしれない。一度無政府状態にしなければこの国は救われないところまで来てしまった。
 ただできないのは、既得権益としがらみがそれをすることを躊躇わせているに過ぎない。
 だけれども変えようという気持ちさえあればそれも可能だという事を、最後の最後まで気付かない、または気付いているのに動けないというのが本音だろう。
 
 民主党では、日本を変えることはできなかった、では日本を変えるためには次に何をしなければならないのだろう。