なくなるもの

 曇り、風が強く、朝6時の気温で8度と寒い日が続いている。晴れれば気温が上がるだろうが、夏日にはならないだろう。


 形あるものは必ずその形を失う時が有る。その物の寿命で有ったり、自然の影響で有ったり、事故で有ったりとその原因はさまざまである。

 その最後の形が消え去るのをどのように表現するかという事が人生において重要な事なのかもしれない。その最後の散り際の美しさを表したものが様式美として残り、それを柱とするのが武士道なのだろう。

 ただし、現実は、その散り際の美しさを体現して形あるものが消え去ることは余りない。その形あるものの美しさを残しながらひっそりと消え去ることが人の世界では余り無くなってしまったのが残念だが、それも致し方ない事実として受け入れるべきものなのだろう。

 自然界でもそれは同じである。今まで見事な桜を咲かしていた木も、枯れて表皮が剥がれ、幹に空いた空洞を晒しながらも地面に立ち、更に風で枝を折られようともその姿をさらし続ける現実がある。

 老いていくという事は、その現実の姿を晒しつづけるという事でもある。その姿を晒したくなければ、どこかに籠り隠れるように生活するしかない。

 現実は、そういうものである。