停電

 曇り、気温も15度くらいと低い。このまま一日曇りらしい。

 

 今日から計画停電が実施されるかもしれない。備えは万端では無いだろう。もしもそうなった場合、その計画停電地域の信号などは点灯しないし、家庭で使用している家電は当たり前に使えない。さらにオートロックなどの電気を使用しているものも使えない。

 そういった当たり前に使用しているものが使えないということを理解して普段社会生活をしていないので、不自由になれば影響を蒙るのは当たり前である。

 本当なら北海道に原子力発電所はいらなかったはずである。豊富な水力を利用すれば、何の問題も無く電気量をカバーできたはずである。

 では、何故不必要なものを北海道まで作ったかと言えば、やはり日本の原子力政策の尻馬に乗ったということである。

 原子力が国の万能の政策であった。そこに生まれる金は巨額である。原子力発電所を持たなくても道民は、核燃料の費用を負担しているのだから、どうせなら負担する方が都合が良かったという事だろう。

 将来は、原子力で生まれる核廃棄物も簡単に処理できると考えていたのだろう。だけれども実際は簡単に解決できないものである。

 自分の考えでは、折角発電所として機能しているものを、ただの核物質保管所として使用するのは、国民の負担としてどうなのかというものであった。使えば電気を生むが、使わなければただの厄介な代物である。そうであれば使わねければ勿体ないという消極的な考えで、原子力発電所廃炉を今すぐという論には反対していた。

 ただし、それもそういった負担をしてでも原子力発電所を止めるという考えが道民の多数であればそれも致し方ないと考える。

 今回のような地震津波は、何百年に一回の出来事である。今回のようなことが明日又来るという事はそうそうない。確率的に1%以下の事だろう。

 しかし、確率が1%に満たないとしたとしても、その1%が明日起こる可能性は0でないことが問題でもある。だから絶対ないと断言は不可能である。

 しかし、起こることはまずないだろう。更に今回の津波によって得た経験値から更に、事故が起きる危険度は更に下がったと言って良い。

 だから、原子力発電所を稼働しても事故が起きる可能性は、相当低い筈である。

 ただし、ここできちんとしておきたいことは、『今後のエネルギー政策の中に原子力発電を外す』という国の方針を決めてもらう事である。

 そこが消極的賛成という考えを持つ者の譲れない部分である。

 今後、こういった事故に対応する画期的な方法を生み出すことは人類にとって不可能だろ。それができるという保証が有れば別だが、既に化学は原子力の平和利用に向かっておらず、反対に原子力を兵器としてつかうという考えばかりである。

 人類の性格上、平和的利用と兵器利用は必ずセットでしか存在しない。

 それを防ぐ意味でも、原子力の扱いを考える必要がある。

 日本のエネルギー政策の転換点が、福島の事故であったという事実は変えることはできない