現実

 曇り、気温は朝の6時で21度、日中は、30度を超えそうである。


 人の一生でできることに限りがある。何故なら人には寿命が有るからである。

 そのできることの範囲はさまざまである。その範囲の中で世界を変えるようなことができるのは、世界の人口の中では少数の人間だけである。

 その人間は、無作為抽出で選ばれるのではなく、ある程度人為的な操作が加わっている。その操作の一つが、貧富の差である。人がこの世に生まれ、最初の選別が、両親が裕福であるかないかである。裕福という価値基準の中には、お金だけでは無く愛情のような精神性や環境も含まれるだろう。

 

 まずその時点で次のステップに上がれる人間が篩に掛けられるわけである。裕福な環境に恵まれれば、その次の階段への高さは乗り越えることは容易い。

 

 世の中を変える方法は色々存在する。政治的な物、新たな発見、発明、宗教など、そして犯罪のような世の中にマイナスなものも含まれるだろう。

 そういった数々のもので、世界を変えることができるのは、運というものも多少あるいは大きくかかわってくる。全ての人間が、世の中を変えるような運命を背負って生きているのだが、その変化は、勢いよく流れる川に小石を投げいれた位の影響力しかなくこの世から消えて行くものである。

 昨日のニュースで、ラマダン明けで喜びに沸く人々の姿が映像で流れていた。その中で印象に残るのは、インドの列車の屋根に上る大勢の人々の姿である。それぞれの顔に喜びが溢れ、それぞれに色々な人生が今まで流れていたのだろう。もしかしたらこの映像に映し出された人の中から世界を変えるような行動を行う人が存在したかもしれない。

 

 毎日やって来る日常の中に世界を変える出来事が埋もれているのかもしれないが、平凡な人生を送る人間にとって、週末の休みだけが生きる目的になってしまっているのが現実のところである。