沖縄問題

 晴れ、気温も朝の6時で10度と比較的暖かい。

引用 中日新聞http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012101802000091.html

 

あってはならない事件がまた起きた。米海軍兵二人が二十代の女性に対する集団強姦(ごうかん)致傷容疑で沖縄県警に逮捕、送検された。沖縄に重い米軍基地負担を強いる限り、県民の痛みはなくならない。

 米兵による事件・事故の後、繰り返される「綱紀粛正」の言葉がむなしく響く。事件の報告を受けて東京滞在を延ばした仲井真弘多沖縄県知事は、斎藤勁官房副長官首相官邸に訪ね、「(在沖縄米軍基地は)安全保障上必要だから理解してくれと言われても、こういう事件が起きると無理な話だ」と強く抗議した。

 知事に代表される県民の怒りは当然だ。日米両政府に加え、日本国民全体が重く受け止め、自分の痛みとして感じる必要がある。

 米軍基地は周辺地域の住民にさまざまな負担を強いる。平穏な生活を脅かす日々の騒音や事故の危険性、米国の戦争に加担する心理的圧迫、それに加えて、今回のような米兵の事件、事故などだ。

 日米安全保障条約で、日本の安全と、極東の平和と安全を維持するために日本に駐留する米軍が、日本国民の生命を脅かす存在にもなり得ることは否定しがたい。

 在日米軍基地の約74%は沖縄県に集中する。米軍の世界戦略に加え、本土では基地縮小を求める一方、沖縄での過重な基地負担を放置することで平和を享受してきたわれわれ本土側の責任でもある。

 沖縄では今、米海兵隊普天間飛行場宜野湾市)への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ配備に反対する動きが強まっている。

 安全性が確認されたとは言い難い軍用機を、人口密集地が迫り、危険な飛行場に配備することへの反発はもちろん、日米安保体制に伴う負担を沖縄県民がより多く負う差別的政策への怒りでもある。

 普天間飛行場の名護市辺野古への「県内移設」では、沖縄県民の負担軽減にはならない。日米両政府は普天間飛行場の国外・県外移設の検討を手始めに、在沖縄米軍基地の抜本的な縮小に着手すべきだ。普天間でのオスプレイ運用も直ちに中止すべきである。

 今回は沖縄県警が米兵を基地外で逮捕したが、日米地位協定では米側が先に身柄を拘束した場合、起訴まで米側が拘束できる。日本側は殺人、強姦など凶悪犯罪では身柄引き渡しを要求できるが、米側は拒否できる。

 治外法権的な協定は沖縄県民が不平等感を抱く一因にもなっている。運用見直しではなく、抜本的改定に踏み出さねばならない。


 米軍兵士の女性暴行事件は、間違いなく卑劣な行動であり米軍兵士は法に則り処罰されなければならない。犯罪のやり得は許されるべきではないので、日米地位協定の見直しはひつようである。

 しかし、日米安保条約と米軍基地の存在と今回の事件は別のものとして考えなければ正常な議論ができない。できるなら日米安保条約だけを議論しなければならないはずである。何でも十把ひとからげにしてしまうと問題の解決につながらないし、本当の解決方法を見つけることが困難になってしまう。

 そもそも日米安保条約は、勝戦国であったアメリカが環太平洋の覇権と日本に間接的な影響力を今後も持続的に持つために結ばれたものである。(少し要約しすぎだが)

 そして日本にとっても戦後の国内の安定化と対ソ連という関係からアメリカの傘の下に入り身を守ってもらう必要が有った。それで今までギブ&テイクの関係が成り立ってきた。そして、その間両国関係は、色々な損得もありながらも今まで続いてきたのである。

 その風向きが少し変わったのが、民主党の政権奪取と小沢氏の中国外交であった。今までの日米関係の見直しと日中関係の増強という流れを作ったことで色々な問題が起きはじめた。

 

 そして、色々な問題の中で出てきたのが沖縄の問題であった。もし、日中関係が同盟のような形で今後進めば、侵略する相手が居なくなるので沖縄に米軍基地は不要である。そこで出てきたのが、普天間基地問題である。今までは、自民党の色々な裏での政治手腕が問題を抑え込んできていたのだが、民主党政権に代りその影響力が失なわれた事で流れが変わった。

 

 そして、小沢氏が失脚し、日中関係は怪しくなり、そして今の状態になってまた日米安保条約の重要性が増してきたわけである。世の中は常に変わり続けるため昨日の風は今日も同じには吹かない状況なのは言うまでもない。それを知ったうえでこの先の未来を考えて行かなければならないのだから今の決められない政治は、既に重症患者になっているのに、点滴で様子見しているようなものである。

 沖縄の米軍基地は、日米安保条約の根っ子と言って良い。これを上手く処理できれば他の事は屁でもない。そのことに対して、色々な議論が必要になる。今回引用した中日新聞の記事は、その米兵の犯罪を解決するために沖縄から本土側に負担を移行すべきだと書いている。さらに米兵の犯罪に対して地位協定の見直しを唱えているが、地位協定の見直しは、犯罪が起きてからの事後の処罰である。犯罪を防ぐものでは無い。もし米軍基地が本土側に移行したとしてもその犯罪発生率は同じであるとするなら、日本に米軍基地はいらないということを主張しているということなのだろう。

 日米安保条約は、見直しという言葉は新聞各社の記事によく登場する。しかし、不要という言葉は中々出てこない。それなりに日米安保条約の必要性は感じているのだろう。

 でも、日米安保条約のことを本当に議論するなら、日米安保条約不要論を唱える新聞記事をだす新聞社が必要である。見直しという言葉は使いやすいが余りにもその方法が曖昧で、議論を前に進めるものでは無い。逆に議論を収縮させるものである。是非中日新聞は、日米安保条約不要論を唱えて頂き今後の議論の口火を切って頂きたいと思う。

 色々な議論を深めるには、相反する意見を戦わせる場が必要で、常日頃新聞は公器と言われているのであれば、是非新聞社同士で意見を戦わせてほしいものだと思う。