戦争責任

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引用 時事通信http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012101701016) 

新華社電によると、中国外務省の洪磊・副報道局長は17日、自民党安倍晋三総裁が靖国神社を参拝したことについて「日本は歴史問題におけるこれまでの態度表明や約束を順守し、責任を持って問題を処理すべきだ」との談話を発表した。

 洪副局長は「靖国神社問題は日本が軍国主義による侵略の歴史を正しく認識し、対応できるかどうかに関わり、中国を含む被害国の人たちの感情にも及ぶ問題だ」と指摘した。

 我々日本人は、或いは世界のどの国も、どこまで歴史的責任を持てば良いのか?

 今の日本人の多くは、戦争を知らない世代になってきた。後20年もすれば日本人の誰もが第2次世界大戦を知るものはいなくなるだろう。

 今回、中国に指摘された歴史的責任は、第2次世界大戦の責任である。では、その前の日清戦争の責任はどうなるのか、或いは元寇の責任はどうなるのか?という問題が起きる。

 ヨーロッパや、中東などは地理的に国々が接しているため、多くの国(今は無くなってしまったがその歴史を引き継ぐ国を含む)は、それなりに他国間と領土争いを行い、侵略したりされたりという歴史が有る。その間に、多くの国民が命を失い、色々なものが略奪されたりした。

 

 そういった国々は、過去の戦争に対してどれ程の責任を果たしているだろうか?その一つは、戦勝国と敗戦国の論理の違いが有る。戦勝国は戦い後生き残れた国なので当然国家として存在し続けるわけであるから、戦勝国としての利益を得ているのに対し、敗戦国は、占領されるか国として消えてしまうという事になるので、中々敗戦国として過去の責任を問うとか問われるという事は稀である。

 そういう意味で、敗戦国であった日本が、敗戦後直ぐに復活し世界の工場となったのは歴史から見て稀有な例でもあるだろう。その理由が、島国であったという事が非常に大きい。もし中国と陸続きで有ったら敗戦と同時に日本は侵略され日本という国が消滅していた可能性もあっただろう。同様に敗戦国で戦勝国と陸続きであったドイツは、戦勝国に国を2分割されてしまったし、イタリアは、ヨーロッパから突き出た島国のような立地だったし、終戦前に降伏したことにより占領を免れた。

 敗戦国で有りながら、戦後もアメリカ軍に占領されながら、戦争を引き起こした事実関係を曖昧にしながら生きながらえてきた点も侵略をうけた国にとって我慢が出来ない点なのかもしれない。

 しかし、その曖昧に解決されてきた歴史であっても、何らかの戦後処理がなされお互いに条約を結ぶことによってけじめをつけてきたことは事実である。そういったはっきりしない戦後処理が相手にとって不充分というのならそれは見解の相違というしかないのかもしれない。そういった事を何もせずに戦後70年近く過ごして来たらそれは甘んじて非難されなければならないが、そうではなっかったという思いも日本人にはある。

 その所で、今問われるのは、今の世代はまだしもこれから生まれる世代も戦争責任を問われなければならないかという事である。我々の教育では、戦争を引き起こした事実を認識し今後再び他国を侵略しないということを教えられた。それは、日本が世界に向けて平和の努力を続けるという誓いだった。

 しかし、その戦争を引き起こした責任を今後の世代まで求めるのが正しいかと言えば否である。何故なら、今後戦争という手段によって他国を侵略しないという心構えを持つことで十分だと思うからである。