独り言

 晴れ、朝の内は冷え込んだが太陽が昇ると同時に暖かくなってきた。

 北海道の話題は、日ハム一色となっている。まあ日本一を戦う争いになっているのだからというのもあるが、道民の期待するものがそれしかないともいえる。それはそれで寂しいことでもある。

 それも、道内の景気の将来的な上昇が見込めないことが多分に有る。何時も言うようだが、北海道の経済自体が自立した構造になっていないからである。

 それを変えることは簡単である。その方法は、北海道を日本の産業構造から独立することである。北海道の農業、漁業自体は、自立可能である。それは、食料という日本の安全保障を担う物産だからである。

 しかし、それが余り上手く行っていないのは、それを加工せず、本州に横流しだから問題なのである。そういった1次産業でできたものは、原料である。アラブの産油国が石油を加工せず原油のまま他国に売り、自分たちの地場産業を育成していないのと同じように、北海道もまた、自分たちで加工せず原料のまま消費地に送る。本来ならその原料を元に加工品を作り、付加価値をつければ、それだけ収入も増えるし、それを加工する2次産業ができる。更にその2次産業の勤労者が増えれば、それに伴い3次産業の需要も増える。書いてみれば簡単な事である。

 では何がそれを阻害しているかというと、まさしく北海道が開拓の歴史からある、国の植民地としての歴史的構造を引きずっているからである。

 確かに、同じ日本という国があり、同じ平面で考えれば、原料を作り、その原料を加工する場所が同じ日本国内で有れば、日本経済は成り立つのだから何の不公平もないのだろうが、実際は、その日本経済の富は、東京を中心とする関東圏に集中しているのである。

 だから、東京に人間は集中し、その中心を外れてしまうと人はまばらになり、老人の割合が多い地域ばかりとなる。そうなればその地域の産業は衰退し、それがまた若年層の人口流出を生むという循環を繰り返し、今の日本が有る。そしてその地方にしても、産業が有る地方の中心都市に人が集まり、いよいよもって人が住む地域が少なくなってくる。

 それだもの、北海道の札幌市に熊が出没する理由も判るという物である。昔なら人里離れた山奥にも人が入り込み、何らかの関与を動物に与えた。しかし、今ではそれもなく鹿は繁殖し、熊も繁殖するのも道理で、あぶれた個体が市街地に現れるのは当然である。既に北海道の山は、徐々にその姿を、昔の蝦夷と呼ばれた頃に帰ろうとしている。

 道民がまずしなければならないのは、北海道を道州制に移行させることである。そして道民に自分たちが自立しなければならないことを気付かせることである。自分たちで替えなければ何も変わらない。今の東京中心主義者の支配から脱しなければならない。

 

 本来ならそれを目指す政治家が出てこなければならないはずなのに、それを言い出す人は少ない。

 最初に書いたように、今もてはやされている日ハムも、親会社は道内の企業では無い。北海道の原料を仕入れて加工する側である。いくら日ハム製品を買ったとしても利益の大部分は本州に流れて行く。極端な話、同じ日本国内でも搾取する側とされる側という笑えない地域格差が生じているのである。

 まあ、それがスポーツという興業的な娯楽製品としてのコンテンツであることを否定しない。却ってそれを拒絶することが、反体制なのかもしれない。長いものには巻かれろというように、上からのお達しには逆らわず頭を下げているのが得策なのだろう。

 気概の無い人間は、そのまま朽ち果てるだけである。