大学教育

 曇り、風は有るがそれ程寒くは無い。歩道には落ち葉が降り積もっている。

引用 北海道新聞http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/417317.html

 

札幌保健医療大など3大学の新設を田中真紀子文部科学相が不認可とした問題で、同大の来春開学を予定していた学校法人吉田学園(札幌市)の吉田松雄理事長が5日、札幌市内で記者会見し、決定の撤回を求める行政訴訟の提起を検討していることを明らかにした。他の2大学とも協議することを明らかにした上で「単独でも訴訟を視野に行動したい」と述べた。

 昔なら、文部大臣に立てつこうという学校は無かった。時代は変わったというか、次期選挙で与党が交代することを織り込み済みで行動をしているのだろう。

 

 最近の国民の姿勢は、民主党なら文句を言っても構わないという風潮があることである。確かに今の政治の混乱は目を覆うばかりで、その気持ちが判る。

 ただし、何を言っても許されるというのは間違いだろう。それは、日本が古来から持つ気質である奥ゆかしさを失う事である。それは、日本から西の国に有る、文句を言うのが当たり前で、早く言った者勝ちという国と同じである。やはり、言葉は腹に貯め、言うべき時に言うのが本来の姿である。

 それにしても田中大臣の行動は、自分が大臣になったからには波風立てずにはおられないという、持って生まれたかき回し屋の気質であることを証明した。野田総理も、文部科学省ならそう問題を起こさずに大臣職をこなせると踏んで大臣にしたのだろうが、やはりタダでは起きない人であった。

 もし今の時代に、鉄の女と呼ばれたイギリスのサッチャーさんのような人が居れば、すぐさま総理大臣になっただろう。その人を引き付ける力が田中真紀子さんには不足している。今まで色々、多くの人の目を引き付ける行動をしたが、政治的実績は残念ながら何もなく、話題になるのは、このような無理無体なことを起こした時だけである。父親の血をかなり引き継げば、女性初の総理大臣の可能性もあっただろうに、変な遺伝子ばかり受け継いだようである。

 話は、最初に戻るが、大学の価値が下がり定員割れしている大学が4割有る現状で、今後も更に大学を増やす必要があるのか疑問だという問題提起は、間違っていない。それは、いつ頃か文部行政が変わり自由競争で大学が生き残りを掛けながら切磋琢磨して大学数がある程度の数に落ち着くと予想してどんどん認可され始めた。

 生き残りを掛け、大学も努力しているのは判るが、やはり学生の質が悪ければ、高校教育の延長線でしかない。本来なら大学は、義務教育や高校教育を離れ専門的な学問を学び研究するという場所だったはずだが、それが今では、まともな大学教育を受ける学力が無いのに大学に入学し、何となく単位を取り、何となく卒業し、就職して、離職してニートになる学生が増えているように思える。

 大学教育の在り方自体を根本的に見直すべき時期に来ている。大学が高校や義務教育で落ちこぼれた学生の4年間の再教育を行うことは、根本的に無駄である。それなら高校卒業と同時に専門技能を学ぶ学校や、高卒で働いてもらったほうが余程社会の役に立つし、世の中のためである。大学を4年間の無駄な時期として使わせないためにも改革は必要である。

 ここからは、暴論であるが、ドイツのように大学入学組と技能を身に着ける組に高校から振り分けて行く必要があるだろう。人生で働ける期間は、4,50年である。大学を卒業しても就職できるあてもなく実家でぶらぶらしているニートが大勢存在する。その大学教育を受けている期間に実務教育を受けていればと本当に思う。そうすることで自分たちが持つ才能を開花させる人が何割か生まれることだろう。今のFラン大学で4年間過ごすよりも才能を開花させるチャンスは広がるだろう。