許容力

 曇り、それ程寒くは無い。でも気温は、10度以下なのは間違いない。

 インターネットがこれだけ発達し、色々な情報発信ができるようになり色々な問題が発生し始める。それは、今まで槍しか使っていなかった人間が、ミサイルを手に入れたようなものである。慣れるまで手当たり次第、標的無しに乱射したり、今まで槍の届く範囲の標的しか攻撃できなかったものが、遥か遠くまで攻撃できるようになり、更に自分ではその標的を見ることなくレーダーに映し出される目標を狙って攻撃できるようになったようなものである。

 ネット上では、主に攻撃は、テキストによるものが主である。それは、見えない相手と戦うことで罪悪感が薄れ、相手がどのように苦しもうがお構いなし、相手が無反応になるまで攻撃の手を休めないのが特徴である。

 これは、特殊な人間だけが陥るのではなく、それ以外の一般的な普通の人と思われていた人間でも匿名という理由から簡単にそういった類の人間になることができる。

 まさしく、ネットは人間の許容力を試す道具と言える。そして現在の状況は、全ての人間の許容力が低下し、他人の意見に対して自分の考えと異なればいつでも反論できるという道具を手に入れたということになる。

 

 今の状況で人間がネットにぶら下がった状態でいれば、ますます人間は相手に対して寛容性を失い狂暴になるだろう。かろうじてネットの世界が保たれているのは、言語の壁が存在しているからだと言える。

 しかし、その言語の壁も自動翻訳機能がこのまま進化していけば何時か崩れ去るだろう。その時、ネットの世界は、また人つの時代を迎えてしまうだろう。それは批難する相手が日本という限局された場では無く、世界中の誰でも文章という武器で攻撃が可能になるからである。将来、ネット上の論争で国と国との争いが起きる可能性もある。その戦争も、今までなら陸続きの場所でなければ争いが起きなかったが、世界の裏側から攻撃されるようになるかもしれないのである。

 そして、すこし想像の世界になるが、攻撃方法も人間が直にタイプするのではなく、ロボット的に自動化され人間の意思とは関係なく攻撃が繰り返されるようになるかもしれない。今までなら一人一役しかできなかったものが、一人で数千数万のコピーを生み出すことができるようになれば、収拾がつかない状態になるのは間違いない。

 そういった近未来の極端な世界を予防するには、今のネット世代に如何に許容力を持たせるかという事に尽きるだろう。自分を非難されたとしてもある程度の範囲まで受け流すことのできる人間性の強化である。

 現実問題、発火点の低い人は増え続けているように感じる。