こころ

 晴れ、気温は零度以下、真冬並みの気温である。


 人の心は移ろいやすい。それは、生きて行くために仕方が無いことである。

 朝令暮改という言葉が有るが、それ程極端ではなくとも、昨日のことが今日では変わるという事は良くあることである。それを特段責めるつもりは毛頭ない。

 しかし、それに振り回される人は大勢存在する。それにより気力を失ったり、はたまた職を失ったりすることは、良くあることで、そのことまでを考慮して決断したとは思われないが、それがどこまで考え抜かれて決められたのか良く判らない部分も多々ある。

 日米開戦を決めた当時、東条英機も敗戦により焼け野原になる日本を想像しなかっただろうし、その一度焼け野原になった日本がこのような国になっていることもしらない。

 もし、この国に蘇ったなら今の日本の繁栄は自分が築いたと勘違いしたかもしれない。そのために亡くなった人たちは、国のために死んでくれたと一人納得するだろう。人とはそういうものである。自らの決断が多くの人に地獄を見さしたとしても、時が経てば、自分の頭の中の思い出の中から多くの事は消え去って行く。そして記憶の中で自分がどれ程良い決断を下したかを褒め称えるエピソードだけが残るのだ。

 「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。」

 この心の移ろいは、人に対する思いで恋心のようなものである。しかし、その思いで恋心さえ何時しか忘れて行く。ましてや、それ以外の言葉など忘れ去られて当然だともいえる。