政治か

 みぞれ混じり雨が降っている。気温はそれ程低くなくプラス2,3度というところか。


 公示前に慌ただしい雰囲気を醸し出しているが、実際の街中は、そんなことは有るとも思われないような感じである。それにしてもテレビに映る、現役政治家、これからの人たちの権力に対する執着の凄まじさは、見ていて気分が悪くなる。これは、映像という見た目と声が同時に見るものに与える影響力によるものだろう。

 あるいは、政治家という職業の堕落した、人というお面を被ったその下に渦巻く欲望の塊のような醜悪さが画面を通して伝わってくる。そんな人間の浅ましさをこれから一か月見続けなけれならない。

 まあ、その醜悪さを見せない政治家もいるにはいるが、それは抜け殻の風船のような人間だから風が吹けばどこかに飛んでゆく存在である。しかし、権力という甘い匂いのする誘惑に近づけばその風船の中身も毒液に満たされてしまう。

 世の中を良くしようという思いは、その人にとっての良い世の中であり、別の人にとっての良い世の中とは限らない。結果的に万人が良い世の中という思いをさせることができるかもしれ無いがそれは結果論であり、未来の人間が評価するものである。同じ時間に存在する人間に対してすべてを満足させるようなことを実現することは不可能である。

 自分ならこうしたいというのは簡単である。夢のような言葉はいくらでも作り出せることは可能である。しかし、本当にそれを実現しようとするなら大勢の賛同者を必要とし、自分の声に従ってもらう必要がある。

 そういった夢をばら撒くだけの人間と、夢を実現させる能力を持った人間を少なくとも選り分ける必要がある。それが出来て初めて指導者の器と言える。

 果たして、数多いる候補者の中からそれを選び出すことができるか、それを見抜く能力を持った人間にならなければいけないのだ。