不安定

 晴れ、少し朝日は東の空の雲に日差しを遮られている。気温はマイナス10度くらいだろう。

 むかし、経済学者のガルブレイスは「不確実性の時代」を1978年に書いた。世の中に確実なことは人類が誕生して一度も無かった。

 確実と言われていたのは、99%確実なことであり、残りの1%は起こりえないという事では無く、やはり起こりうるという不確実な出来事であった。

 世の中に安定というものは存在せず、常に不安定という圧力に押されている。更に可逆性も存在せず、常に事象は不可逆性である。

 我々が存在する時間は、地球規模の時間の流れの中でいえば、瞬き以前の時間であり、存在というものを記録されないものが大多数を占める。

 第2次世界大戦後、世界は戦争という呪縛から一端解放されたと思っていた。それは日本人だけが思う幻想であり、その後常に地球上のどこかで誰かが人を殺し人が殺されていた。
 そしてその中で、日本人は、世の中は平和になり、何時までもこのような世界が続くものだと信じて暮らしていたわけである。

 それは、島国の住人に与えられた特権のようなものであった。

 しかし、世の中の距離がインターネットという技術を元に爆発的に縮まると同時に、その影響は、日本に居ても感じられるようになってしまった。
 そこにあるのは、安定した基盤に立たないものが感じる落ち着かない気分と言っても良い。それは、症状が嵩じれば「浮足立つ」という感覚だろう。

 我々が行わなければならないことは、その浮足だった地面から少し安定した場所に逃げることだろう。
 その安定した場所を探すのは、各々個人の責任で行われるべきことであるし、自己責任で行動を決めなければならない。

 もし逃げた場所が、たまたま不幸な場所であってもそれは全く自分の責任であり、文句を言う筋合いではない。

 それ程、世界は自己責任という目に見えない決まりが出来始めている。それが無ければ物事は先に進むことは無い時代に差し掛かっている。