高齢化社会

 晴れ、気温はマイナス、まだ融け残った雪がだいぶ残っている。

 4月に入り、東京で桜が開花したらしい。桜は本当に春を告げる木である。その点で北海道の春は、5月である。

 今日は、新社会人が大勢誕生する日である。多くの学生がまた社会に飛び出そうと準備を始める時期でもある。そういう意味で、これからの日本の環境の変化が若い人たちの運命を変えて行く。その環境の変化は、ある人には有利に働き、ある人には不利に働く。それも人生の一つの綾なのだが、それを乗り越えて行くことが大事である。

 そういっても、日本の高齢化社会は、ある意味ゆがんだ構造をもたらした。若者が働けなく、年寄りも働かなければ生活できない社会である。

 本来、人間は60歳を一区切りとして生きてきた部分があった。人間の寿命が60歳前後だったからである。それが医療の発達とともに平均寿命が80歳近くまで伸びることになった。そのため、長く生きる人のための年金財源が極端に膨れ上がった。

 もしこのままいけば日本は、老人の年金と医療費問題で止めを刺されてしまうだろう。それは、限られたパイをどの人間たちが受け取るかという世代間闘争に近いものが発生するからである。

 しかし、若者たちに不利なのは、自分たちが老後を迎えるために今の老人世代を大事にする政策を残しておかなければ、自分たちの老後が不確かなものになることを知っているからである。ある意味自分たちの老後の生活を人質に取られたようなもので、いずれにせよ老人問題は、未解決のまま進み続け、どこかで破綻するのだろう。

 我々が望んでいるのは、ユートピアのような、誰もが生活に困らず、穏やかに死を迎えられる社会だったはずである。戦後の高度成長期の時代は、この先その夢のような世界が実現できると夢見ていて、本当にそれが叶うような気がして生きてきたはずである。

 実際は、そんなことは無く、自分たちの生活がどのような結末を迎えることができるのか、既にあやふやになり始めている。

 今まで信じていた社会を実現させるための、未来社会は、きっと人間は作り上げることはできないだろう。それ程人間の能力は高くは無かったのである。

 そして、現実的には、この今まで実現してきた社会を壊さず如何に永続できるかが課題となって来るだろう。それを維持できなければ、高福祉社会など実現不可能であるのは間違いないところである。