交通事故

 雨、気温は少し寒く感じる程度である。

引用 朝日新聞(http://www.asahi.com/national/update/0424/OSK201204240009.html

京都府亀岡市で集団登校中の小学生ら10人の列に無免許の少年が運転する軽乗用車が突っ込んだ事故で、府警の調べに対し、自動車運転過失傷害の疑いで逮捕された亀岡市の無職少年(18)は「一晩中走り、疲れて居眠り運転をした」と供述。府警は現場にブレーキ痕が見当たらず、少年は約20メートルにわたり児童らを次々はねたとみて、容疑を同致死傷に切り替えて調べている

 本当に悲しいニュースである。京都はつい最近も多数の死傷者が出た車による事件が起きたばかりである。

 アメリカなどでは、銃の乱射による大量殺人事件が起きているが、日本では、銃の代りに車による大量殺人事件が起きている。人の死という意味では、車も銃も凶器に変わりない。

 ここいらで、日本国内を走る自動車には、そういった事故を起こさないような仕組みを取り入れる時期にきているのだろう。それに本腰を入れるのが遅かったのかもしれない。

 また自動車の改良と共に、歩行者と車の交通を完全に分ける方法も必要だろう。従来の道路はそのままに、歩行者専用の道路を作ることも考えた方が良い。

 最近の車の運転手の交通ルールに対して、遵守する意識が低下している気がする。赤信号でも信号無視をするし、歩行者が信号無しの横断歩道を横断しようとしていても車は止ろうとしない。交通事故を防ぐためのそういった決まりを守ろうとしなければ、歩行者は安心して道路を歩けない。明らかに車優位社会になってしまっている。

 自動車メーカーも、自分たちの売り上げが主目的で、歩行者の安全を無視してきた。楽しいドライブは、やはり無事故の中から生まれる。今後も車を運転する人を増やすには、そういった思想を持たなければならない。

 それにしても、交通事故で亡くなる子供たちが不憫でならない。人として生まれ、こういった事故に遭わなければ、80年くらいの人生を歩めたはずが、自分が原因でない事故で命を失う。まさに不条理である。

 人として生まれ、必ず死を迎えることは定めであるのだが、その運命を変えることができたなら、今日も元気に同じ道を歩いて学校に向かっていたはずである。
 それが、運命のあやでその一生を終えてしまう、それ運命だったと一言でかたずけることは不可能に違いない。