東電

 曇り、いつ雨が降っても可笑しくない天候である。気温も10度以下と寒さを感じる。

引用 テレビ朝日(http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/220515002.html
 

 福島第一原発の事故を検証する国会の事故調査委員会で、東京電力の勝俣恒久会長は、菅前総理大臣が吉田前所長に直接連絡をしたことが事故処理の妨げになったと政府の対応を批判しました。

 東京電力・勝俣会長:「電話などでいろいろな照会がダイレクトに(当時の)菅総理、あるいは細野補佐官からあった。こうしたことは正直、あまり芳しいものではない」
 事故調査委員会は14日、東電の勝俣会長を参考人として招きました。菅前総理が事故直後、吉田前所長に直接、携帯電話で指示をしたことについて、勝俣会長は「混乱の極みの発電所で指揮を執る所長に質問的な話があり、時間を取られた」と苦言を呈しました。

 確かに、事故対応に当たる責任者が、総理に直接対応に当れば指示命令系統に狂いが生じる。総理の取った行動は、アメリカ映画の影響を過分に受けていただろう。だからと言って、東電や東電の会長の責任が免責されるわけでもない。

 今回の根本的な問題は、東電の「想定の範囲」が狭すぎてしまった結果、地震が起きた後の対応が後手に回ってしまったというしかない。初期の地震の際に一部機器が破損し、次の津波で全電源を喪失した。同じ時期、同様の被害が発生した女川原発が何とか持ちこたえたのに対し、被害を想定していないばかりに対応が後手後手に回り、最悪の事態を引き起こしてしまったその体制を作り上げた張本人にそういった発言はふさわしくない。

 更に恐ろしいことは、この会長自身今まで本当に真摯に事故に向き合い国民に対して反省の弁を述べたかどうかである。
 事故当時、原発の事故処理の最高責任者は吉田元所長だったと会長は述べている。きっと自分自身は、原発の仕組みを理解していなかったに違いない。
 それで事故当時、会長は中国視察中、社長は関西に居たとされ、会社の責任者が2人とも不在という状態でこの事故が起こった。まさに会社の危機管理能力が疑われる。

 簡単に言えば、勝俣会長は、マスコミに「東電の天皇」と呼ばれていた。民間企業でありながら地域寡占が認められた業種だけあって、その会社自体も独裁国家のような風通しの悪い組織だったのだろう。
 そして、社長も事故当時から表に出ず終いには病気となり辞任という何とも情けない態で消えて行った。まさしく殿様は、この勝俣会長だったに違いない。

 事故当時、この原発の被害が最小に留まることを願った。しかし、それも簡単に裏切られ今日の結果になってしまった。この腹立たしさを抑えるためには、こういった文章を書くしかない。