閾値

 快晴、気温も朝方は10度以下と低かったが、日が昇るにつれて上昇してきた。初夏らしい一日になりそうである。

引用 スポーツ報知(http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120524-OHT1T00016.htm

 東京メトロ副都心線の渋谷駅構内で、埼玉・所沢市の新聞配達員の男性(53)が男に刃物で刺された事件で、警視庁捜査1課は23日、殺人未遂容疑で埼玉県朝霞市のアルバイト、渡辺知宏容疑者(32)を逮捕した。捜査1課は、防犯カメラの画像を公開し、逃走した容疑者の行方を捜していた。調べに対し「体がぶつかり腹が立った」と動機を供述している。

 このニュースが報じられると同時に、人々が切れやすくなったと色々なところで報道されているのだろうと思う。


 しかし、直ぐ切れるような人間が急に増えだしたのではない。昔からある一定の割合で存在する。しかし、そういった行動をとるものは、失うものが少ない、或いは今まで築いてきた人生を一瞬のうちに崩壊させても良いと考える種類の人間である。

 直ぐ切れる人間が人類の中で一定の割合で存在し、普段はその姿を表に出さないように自制している。ある閾値を超えたところで暴走するのだが、その閾値のハードルの値は、丁度2次曲線のようにカーブを描いているのだろう。そして先に述べた、失うものの大きさが大きければ大きいほど下駄を履く感じになる。

 だから、その閾値の低い人間の割合は一定でも、社会的に何も失うものが無いと考える人間が増えれば増えるほど、突発的に犯罪を犯す人間が増えるのだろう。
 
 まあ、それでもエスカレータで追い抜かれた拍子に肩がぶつかったくらいで刃物で刺されてしまっては、東京などでは暮らしていけないだろう。北海道の地方都市でさえ、追い抜かれざまに体やカバンをぶつけられることは儘あるのだから、あの通勤ラッシュの東京では日常茶飯事だろう。
 
 でも、そんなことが東京ばかりに起きるのではない。日本のいたるところで事件が起こる可能性は、日々あり、何時自分の身に降りかかるとも限らない。または、この先どんな運命が待ち受けていて、そういったことを自分自身が起こしてしまうかもしれない可能性も絶対ないとは限らない。

 日常の些細な事の繰り返しが、何時か犯罪を呼び込みかねない。長年隣同士に住んでいたとしても、仲が良いとは限らないのと同じである。ましてや、見知らぬ同士が道路ですれ違う場合、もうその範囲を超え、サバンナで猛獣と出会うかもしれないと考えるしかないレベルである。

 これから日本も、街中は、アフリカのサバンナに出かけるものと考え用心しなければならない社会になって行くのだろう。