運命

 晴れ、今日は夏日になるというとである。実際には、日中部屋の中に居るのでその暑さを感じることは無い。

 人それぞれに定まった運命がある。しかし、本当にそれが変えられる運命だったのかそうでなかったかは誰も証明できない。

 自分でその運命を変える方法が無いのか考えたことがある。それは毎日通勤する道順を時折変えてみることである。1年を通して殆ど道順を変えることが無かったのだが、もし自分の運命が定められているというのならそれを自分の行動で変えるしかないはずである。

 それが道順である。そしてその方法は、家を出るときにあの道を通ると最初から考えるのではなく、ある交差点に着いた瞬間に歩く方向を変えるという事である。その一瞬の判断に委ねることで、自分の思考する時間を限りなくゼロに近づけるのである。

 それでも、あらかじめ自分がその方向に向きを変えることが運命として決まっているというのであれば、それも何の効果が無いことになるのだが。

 もし運命論者であるならそれを貫くことも道理である。

 というささやかな行為を繰り返すことで、世界がもし変わるならそれはそれは大きなことである。例えば歩く道すがら足元を更新している蟻一匹踏み潰すことで歴史が変わるのなら大変なことである。その因果関係をだれも証明できないところに運命が有るともいえる。

 自分と同じ年月日にこの地球に生まれた人が数多くいるはずである。自分を含めその人たちは、色々な生活環境は違えども同じ人間として生を受けてこの世に産み落とされた。
 その人間として生きることは同じであるはずが、きっとさまざまな運命を経てこの世のこの瞬間に生きているはずである。同じ人生を歩んでいるはずもない。

 そして自分がこの世から消え去る時に、自分の運命はどうだったのかを悟ることができれば本望である。