体罰

 晴れ、気温はマイナス20度近く、外を5分歩くだけで顔がヒリヒリする。このまま1時間も外に居れば顔だけ凍傷になる寒さである。


引用 北海道新聞http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/432291.html

大阪市立桜宮高2年でバスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が、顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた後に自殺した問題で、市教育委員会は8日、顧問による体罰について部員50人に聞いたアンケート結果を公表した。自らが体罰を受けたと答えた部員は21人に上った。

 こんなことは、どこでも起こっている事、いまさら何言っているのだろう。と書いてしまえば何の解決策もない。

 しかし、日本人のスポーツ経験者の大部分は、自分が経験したり他人がそういった状況にあることを見聞きしているだろう。そうでありながら、一流になるには、或いは、勝つためにはという理由で黙認してきた。

 団体競技の監督、コーチは、ある程度勝つために選手がロボットのように命令一下動くことで勝てることを知っている。何も統率がとれていないチームと戦うとそれが明らかに成る。

 その統率のとり方が、選手たちの勝つために自分がどのように動けば良いのか理解させることができる監督と、言葉の暴力や体罰で洗脳させて統率を取らせる方が手っ取り早いと考える監督の二通り存在する。

 日本では、後者の方が優遇されてきた。そしてその勝つことが全てであるという監督のもとで育てられた選手がその次の指導者になるのだから、勝つためには暴力は厭わないという監督、コーチが存在し、それが伝統のようになっているのが今のスポーツ界である。

 更に悪いことに、協会や団体の長老というのが、その鉄拳制裁を受けて育ち、それを実践してきた人間しかいないというのがこの問題解決の根深さが有る。

 怒らず、選手の努力だけでチームワークを作るには、指導者のみならず、その選手達の中にマネジメント能力が高い選手が居なければものにならない。そして指導する期間は短く、入れ替わりも激しいので、中々優秀な成績を残すことができない。

 そうなれば、指導者たちのグループの中ではその指導者は無能というレッテルを貼られてしまうわけである。

 本来なら、少年スポーツは、勝ち負けが優先では無い筈である。しかし、一度その世界に踏み込んでしまえば、指導者も無能と呼ばれたくないというのと選手の親たちの自分の子供は、スポーツで将来の道を作りたいという要望から、徐々に勝ち負け至上主義に陥ってしまう。

 この件に関して、橋下市長が乗り出すという事だが、一高校の問題だけを解決すれば良いというわけでは無いだろう。更に、解決したとしてもこの先ずーっと同じ状況で居られるか橋下市長が責任を持って見守ることもできないだろう。

 

 この問題の解決方法は、勝利指導主義では無く、選手の自主的な運営に任せ、教師はそれが逸脱しないように見守るしかない。更に、マスコミも勝利の結果だけを報じ、その指導者を神のようにあがめないことである。また、指導者組織の中で体罰を行っている指導者は除名させるなどの方法を取らなければこの問題は、またいつかどこかで発生するだろう。

 まあ日本の常識では、破れたところを繕うだけで、その破れる理由を根本的に解決し無いである。そういった日本人の悪癖を解消しなければならないのは何時もの事ではある。