昨日の続き

 晴れ、気温はマイナス15度くらい。


 昨日体罰について書いたが、世間の普通の常識としてある感覚が世代毎に違う可能性がある。

 今の高校生たちは、少子化世代を反映して、親にも殴られたことのない世代を親に持つ子供が増えている。

 本当に男親に叱られたことが無いという2,30代が大多数を占めている。その子供たちが、教師に殴られることに対して違和感を覚える親は多いはずである。

 その世代間の感覚のギャップが広がっていることを、一部の隔絶された世界では感じ取ることが出来ず。自分が受けてきた特殊な教育が当たり前という環境になじんでいたのだろう。

 政治家の世襲ではないけれど、体育教師も師弟関係で監督業は世襲されていく。現役の監督などの引きが無ければ体育教師の職にありつくことも難しい世界である。

 当然、体罰を容認するものがその後を継ぐことになる。そうして10年、20年も経てば、体育教師の中で体罰は当然という雰囲気になってしまう。

 しかし、それでも体育教師の監督グループの中でも、スパルタ派勝利至上主義と教育の一環としてクラブ活動が有る派にわかれる。

 当然スパルタ派は、プロや社会人などの将来選手として食べていける職業に多くなる。そしてプロや社会人の中にもその流れをくむ選手が大半を閉めればそれはそれで伝統という事になる。

 スパルタ派は、昨日書いたように勝利に拘る。それは、自分の存在価値を高めるものだからである。だから自分の利害関係と一致することに関しては敏感になり、如何せん歯止めが効かなくなる傾向にある。

 それが今回明るみになった事件という事になる。

 勝利至上主義の監督は、いうなればセミプロ監督である。その監督は、教師という枠から切り離さなければならないだろう。もしそういった監督を雇うなら、教師として雇うのではなく、プロ契約として雇うというようにしなければ、どのスポーツでも今回のような悲劇は無くならないだろう。