文章力

 曇り、気温は10度を少し超えたところ、徐々に気温が高くなってきた所に体が慣れてきてしまっているので、寒いくらいである。

 

 BLOGを開始してからどのくらい経つのだろうと思い見返してみると、既に9年を過ぎていた。自分でも驚くべきことでもある。

 始めたころは飛び飛びに記事を書く程度だったが、ある時から毎日のように書いている。その結果文章力が上がったかというとまだまだである。朝の3,40分の時間をこの作業に充てているのだが、書きっぱなしという事が多く、きっと見直せば直さなければならないところが多いのだが、遂行する時間が無く、誤字脱字などは当たり前の様に有り、文章の中身も、言葉の繰り返しや、意味不明の部分も散在する。

 インターネット上を見回していると、これは凄いという文章力の人に巡り合う。しかし、理路背然とした文章を読んで、これは推敲して書いたのだろうと思うし、短時間で仕上げたと思われる文章を読むこともある。

 その時間配分は、その人の書いたものを読み込んでいけば大凡見当がつくものである。読み応えのある文章は、やはりそれなりの時間を掛け、起承転結をはっきりさせた構成をしている。その文章を最初から最後までもし訂正も無く打ち込めたとしたら凄いことであるが、そういうことを毎日続けていたとしたら、物書きとして充分やって行けるだろう。

 そして、その中でもやはり文章の達人という人が存在する。その書き方の凄さは、やはり書き始めから書き終わりまでどのような文章に成るか見えていると言った感じである。文章が既に頭の中に構成されたものを画面に向かって打ち込むだけなのだろうと想像する。

 自分でも、このBLOGを開いたときに何を書こうかと考えてはいる。それはあらかじめ決められた文章であるが、それを画面に向かって打ち込んでいる内に別な表現が頭に浮かび、最初と終わりが別なものになってしまっていることが多い。それは、思い浮かんだことをただ書くという自分なりの表現方法が身についてしまっているからである。

 思い出せば、小学校のこくごの作文の時間、皆が苦労しているときでも、自分は真っ先に原稿用紙一枚を書き上げた。それは、言葉が次から次へ思い浮かび、それを書き写す作業をしているだけであったからである。

 しかし、文章構成は、今と同じで人に読ませるというより、自分の心を吐き出すといった感じだった。それは、人に読みたいと思わせる文章で無いという事でもある。更に読み返すことが極端に嫌いだったため、直せばそれなりに作文に成るのだが、原稿用紙を埋めた単語を消しゴムで消す作業が嫌だった。面倒だと思ったのか、それとも確固たる信念が有ったか今では想像するしかない。

 文章は、必ず起承転結を大事にすることと教わった。それが全て人に好んで読まれるものにはならないのだが、少なくとも読むのに苦痛を感じない文章作法である。やはり読み手に自分の言葉を伝えるには、読みやすいという事が必須で、何を書いているか判らないような文章構成では、最初の数行を読むだけでギブアップである。

 という事が判っているのだが、中々、転結の結まで持ってくるのが大変で、それさえ決まればある程度の文章に成るのだが、そこを考えると時間オーバーになることもある。

 今後の目標は、与えられた時間の中で、上手く自己表現ができる文章を書くことである。そこまで到達するのに今まで要した時間が掛かるとしたら、自分の頭がぼけてしまう時間との競争に成りそうでもある。