国民主権

 曇り。

 今日の朝日新聞の意見広告に「一人一票実現国民会議」というのがあった。その紙面は、余りにも字面が読みにくく中身は全然読んでいないのだが、紙面をざっと見回すと左上の目次に目が止ったのであった。

 そしてその中の「国会議員主権」という文字が気になった。ここでお断りしておくが、これから書くことは、先の意見広告の中身を読んで書くものでは無いし、その話題は来週に載せられるという事なので、あくまでも自分が考えたことを書くのであって誤解のないようにお願いしたい。

 確かに、憲法では国民主権と謳われ、その意思を国政に反映するため代議員として国会議員を選ぶ選挙を行っているのだが、国民の代弁者であるべき国会議員が国民の意思を全て反映しているかと言えばそうでは無いように感じる。

 国会議員が名誉職では無く職業となった今、その関係は顧客と営業という関係になってきており、その代弁あるいは行動も経済原理に沿って行われる。

 例えば、国民の意見が分かれるTPPの問題としても、ある議員を選んだ選挙民も、賛成、反対が入り混じる状態であるわけで、その意思を反映しようとすれば、国会で賛成票も反対票も投じることはできなくなる。

 そのため、こういった重大案件で賛成反対に分かれるようなものは自分の所属する党の意思に左右され、余り影響のないことについては、ある程度自分の意思で決定或いは、顧客の要望に沿った行動が可能である。

 という事は、一概に国会議員主権とも決めつけることはできないのではないだろうか。確かに、国民一人一人の意思を反映できない仕組みになっているということは間違いない。しかし、その行動が国会議員の意思で決まっているわけでは無く、自分を支持する有力基盤に左右されていると言った方が良いだろう。

 

 その有力基盤も、権力者であり、宗教団体であり、労働団体であったりするわけである。自分の意思を国政に反映しようとするなら、一個人の考えでは到底困難であるのは誰もが思っていることで、何らかの数が物を言う。そういった複数の意思の反映で国政が決まって行くことになる。

 今の日本の主権は何処にあるかと聞かれれば、国会議員ではないだろう。主権は本来の国民にあることは間違いないが、その考えを反映させるための影響力は、国民一人一人それぞれ違うというのが真実だと思う。

 物事を決めるため、国民の意思決定をストレートに反映させるなら国民投票しかない。しかし、国民の意思は、人気投票と同じで風向きに左右される。その問題を解決するには、国民投票と国会と両方を併用していくしかないだろうと思う。それはまさしく憲法改正の方法と同じである。