飼い猫の死

 風の無い晴天である。気温は朝6時で14度と秋の気温である。

 うちで飼っていた猫が死んで2週間ほど経った。ペットロス症候群気味になり落ち込んでしまった。それでも毎日仕事は有るので普通に生活はしていた。

 猫の名前はチビというのだが、子猫の時から大人の猫に成るまでその名の通り猫にしては小さい方だった。種類はロシアンブルーだった。

 人懐こくて更に甘えん坊で、家にいると絶えず甘えた声を出し、なぜられようと側に寄ってくる猫らしくない猫であった。その猫も15年生き、最後は餌を食べることが出来ず眠るように死んでしまった。本当にかわいい猫だった。この文章を掛けるのも少し時間が経ったからである。

 ペットを飼うという事は、種類を問わず自分の家族を持つことに等しい。一緒に生活していてたまに煩わしさを感じることも有るが、自分の子供のように思えてくるものである。

 小さいころから猫や犬を飼ってはいたが、大人になって飼うのとやはり異なる。小さいころのペットは、自分の玩具の一部のような感覚であり、玩具なのに自分の思うとおりに成らない玩具ですぐ飽きてしまう存在である。

 しかし、大人になって飼うと、動物は動物で玩具では無いと理解しているし、気まぐれな行動をとってもそれが当たり前であると認識しながら一緒に暮らすことができる。それは、子供の頃と違う心の余裕のようなものである。だからいたずらをしたり、トイレの世話など色々迷惑を掛けられるがそれも仕方のない事と理解できる。

 動物を飼っていると、やはり人間より早く死んでしまうことは仕方のないことである。その死に方は、やはり人間の亡くなり方と似ている。今回の死に方を見て、自分もこのように弱って死を迎えるのだという事が判る。

 こうして人生において家族の死、ペットの死を見ながら自分自身の人生の終わり方を学んで行くのだろうと思う。