夫婦関係

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 恋人関係もそうだが、その発展系の夫婦も同じ屋根の下で暮らしていても所詮は他人である。ある程度の許容範囲の中で一緒に成り同じ場所で暮らし人生を共有することになっただけで何の束縛する理由など生じない。

 もし、夫婦を繋ぎとめるものがあるとすれば、その一つの理由となるのが子供である。子供の存在は、夫婦の共通の遺伝子を受け継いでいる唯一の血の繋がった身内であるからである。昔から言う子は鎹(かすがい)というのは本当に真実だと思う。

 しかしながら、その夫婦間の唯一の鎹である子供の存在が現代においては徐々に軽視されている気がする。それはシングルマザーに代表される母子家庭の存在だと思う。

 子供を成長させるためには、両親が居なくとも実現可能である。しかし、その成長させる過程で色々な問題に対して果たして完璧にこなせる母親は存在するだろうか?

 やはりそういった子供を成長させていく過程に於いて必要なのは親と呼ばれる夫婦関係の存在があるにこしたことはない。

 例えば、動物社会では、群れを成す動物の場合、一夫多妻制が多い。それは集団の中で優劣な遺伝子を残そうとする掟のようなものである。

 人間社会でも同様な仕組みを持つ国や地域がある。それは、子孫を増やすために効率の良い方法として認められたからだろう。しかし、日本では一夫一婦制の社会である。これは、社会的な構造が、子孫を残すために都合の良いように形成され、必ずしも何らかの条件を備えた男性が一人で多くの子供を残す必要のない構造になったからだろう。

 もし、社会構造がこの先代り、例えば貧富の格差が今以上に広がり最下層に生きる人たちが子供を産み育てられない社会に成れば日本でも一夫多妻制になるかもしれないがそれは現実の話では無い。

 でも現在の母子家庭の増加は、夫婦は他人であるという意識構造の変化があるのだと思う。それは、男親が居なくとも子供育てられる社会がそうさせているのだと思う。その代り、その中で行き詰まり直接的、間接的に子殺ししてしまう親が増える。

 

 この先、社会制度が変わり、親が居なくとも子供成長させる場所が出来れば、この先夫婦関係というものは消滅するだろう。それは一番最初に上げた鎹の機能が失われてしまえば、元々他人だった男女が一生涯連れ添う必要が無くなるからである。

 

 夫婦関係というのは、まさしく子孫を残すために必要な契約だった。その契約は、あからさまなものでは無く潜在意識に潜む呪縛のようなものである。

 

 その中で生涯を連れ添うような関係を保つとしたら、やはり気持ちの良い距離感を保ち続けるという事である。それは余り近づきすぎず離れすぎずという関係で、お互いの見てはいけないもの、秘密というものを詮索しないようにする関係であるだろう。お互いの全ての部分をさらけ出すような関係は、理想かもしれないがそれでも繋がり続けられるとしたらそれは洗脳でしかない。