押しボタン式信号機

 曇り、雨上がりである。気温は6度とプラス。

 昨日、高齢者が手押し信号の横断歩道でボタンを押さずそのまま横断し、車に轢かれなくなった。

 実際、手押し式の信号は余り利用さていない。自分もそうだが、車を自分の意思で止めて渡ると運転手に迷惑を掛けていると意識が働くからである。自分もそうだが、目の前の信号が突然変わると少しいらっとする。それは、止められたという意識と、あの信号が赤に成らなければその先の信号を止まらずに行けたのではないかという意識が働くからである。

 トータルで見れば、それ程停車時間は長くなく、その先の道路を進めばまた信号が有り、止められることはしばしばであるし、もしその先ずっと信号が無ければそれ程止まることに時間のロスを生じさせないものである。

 そうしてその歩行者の立場になると、ある程度の距離があり横断歩道を渡れる余裕があればそのままボタンを押さずに渡ってしまう事が多い。それは、相手の運転者の気持ちを思いやっての行為である。

 そういった人は多く、ボタンを押せばすぐにでも渡れるものを押さずに車が全て通過するのを待つ人が多い。きっと車の運転者に迷惑を掛けたくないという思いからなのだと察する。

 そうしてそれが日常に成ると、たまに赤信号でも渡る時が来るのではないかと思う。実際ぼんやりしていて気付かず渡りそうになったことも有る。あるいは、結構車がスピードを出していてギリギリ渡ることもある。そういった危険性は、まだ感覚的に若いからできることで、もう少し年を取り自分の運動能力と感覚が劣化しているのに気付かなければ、そのギリギリが事故につながる可能性も無きにしも非ずである。

 今回の被害者も90台という事なので、まだ一人で歩いて行動できるという事はお元気だったのだろうが、その赤信号を渡るという行為の重大さに少々油断があったのかもしれない。

 普段渡り慣れた道路で、余り交通量が多くない場所では、油断があり、見落としの可能性も高い。更に押しボタンの信号というのは、能動的であり受動的では無い仕組みである。その状況で誰もが気軽に押せるという仕組みになっていない。高齢となれば尚更である。

 今後日本の高齢化社会の到来とともに、横断歩道の無い所を渡るとか、押しボタン式信号機の横断歩道を赤信号で横断するなどという光景は、日常茶飯事に成るだろう。今でさえ自転車は信号無視して良い乗り物だと勘違いして走る若者が多い今、このまま年を取れば信号が信号で無くなる時代が来そうである。

 今回のように青信号であっても、運転者は加害者である。どんなに言い訳したところで人を殺した事実は消えない。極めて嫌な事実を経験することになる。他所事では無く自分も経験する可能性があるという事を肝に銘じて運転しなければならないだろう。