出来心

 晴れ、気温は3度。

 

 例えば、家に帰るとテーブルの上に家族が残したお菓子があった。もしかすると大切に取ってあったのかもしれないが、自分もお腹が空いていたため無断で食べてしまった。

 これは自分でも経験したことで、子供が残していたお菓子を食べてしまい大変恨まれ、同じものを買って返した記憶がある。

 誰のものか判らないが、家族の物だから泥棒じゃないという理屈から食べてしまったが、もし、職場の共有の机の上にお菓子が有り、どういった経緯でそこにあるか判らないが、つい食べてしまった。これは、そのお菓子に名前が書いていない限り余り非難を受けることは無いだろう。しかし、そのお菓子がお金であった場合はどうするだろう。

 普通は、お金という事から誰も黙って取ることは無いだろうが、それが100円硬貨1枚であった場合どうだろう。

 丁度財布に小銭が無く、近くにある自販機(硬貨しか使えないタイプ)でジュースを買うのにそれを使う事に抵抗がある人はいるだろうか?後で置いて置けば問題ないと考えて使ってしまう人は相当な割合でいるだろう。

 

 その人間が考える無断で使用してはならないという限界はどの程度だろう?

 それは、人間の自制心というものに委ねられると思うが、100円でも勝手に使えば犯罪だと訴える人も現実には存在する。そういった人が多ければ多いほどトラブルに会う確率は高くなるのは当然である。自分だけの問題では無く周囲の関係というのもその自制心に負荷されてくる。

 最近、よく話題になるのがスカート内の盗撮だろう。犯罪としては本当に情けないものであるが、捕まると新聞に掲載されたりするので罪の割には影響が多いものである。

 遥か昔から盗撮は行われていたが、それをするためにはやはりその道のプロが高機能の機材を使い行っていた。そのため、今のようなスカートの中を撮影するというより、ゴシップ記事のネタとして撮影されたりするものだった。そういえばそういった写真を載せていた雑誌はよく訴えられなかったものである。

 その機材が携帯やスマホに代り、盗撮のハードルが低くなった。途端、そういった性癖のある人が徐々に捕まりだした。盗撮に高級機材が必要だったならそういった事をせずに過ごせただろうと思うような人も、手には簡単に撮影できる機材があり、目の前にスカートを掃いた女性が存在するという条件が合わさればそういった事をしてしまうようになってしまった。

 きっと逮捕されるまで、何回か成功体験があり、自分は捕まらないと過信して常習になってしまうのだろう。

 出来心とはいえ、その犯罪により社会的地位を失う事に成る。あの有名な大学教授もそれで社会的地位を失った。社会的地位を失うというハードルを打ち負かす程、その行為を行うという欲望に走ってしまうということが人間にはあるという事である。

 欲望という人間だれしもが持つもの。見方を変えればその欲望の一つ一つが他人にとって犯罪となる。完全に予防するならまさに禁欲的な生活を送るざる負えないだろう。