枯れ枝

 曇り、気温は1度。

 並木道を歩くと、葉っぱの落ちた枯れ枝が、空中の何かを必死に掴もうとする手に見える。来年に向けた枝を必死に伸ばした姿がそう見えるのだが、つかめそうでつかめない無念さのようなものを感じる。

 新しい年に向けて、自分が生き残ろうとするために必死に手を伸ばそうとする。その枝に来年葉が付かないかもしれないが、その葉を茂らすために彼も必死なのだろう。

 それに比べ自分は必死にもがいているだろうか?誰かのせいにしてもがくのを止め枯れ落ちて行くのを待つばかりに成ってはいないだろうか?そう問いかけてくるようである。

 更にその枝の間を吹く風が冷たいと来ているから余計そんなことを考えてしまうのだろう。

 

 今日の午後からは雪の予報である。これから迎える本格的な冬が怖くもあり、それを乗り越えればまた春が来ることをしていたとしても、その移り変わりは早いことも知っている。

 年老いるという事は、そういった時間の速さをも意識の中で受け入れなければ日常を暮らせないのだという事を悟ることでもある。