宗教は人を殺す

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引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/TKY201312110467.html) 

中央アフリカが、治安悪化の一途をたどっている。3月に武装勢力の攻勢で、大統領が国外へ脱出し、宗教対立に発展。首都バンギでは1週間で500人以上が殺害された。旧宗主国のフランスが軍部隊を派遣した。

 3月、イスラム教徒主体の武装勢力の連合体「セレカ」がバンギを制圧。指導者のジョトディア氏が大統領への就任を宣言した。

 ジョトディア氏はセレカの解散令を出したが、武装解除に応じない勢力が軍閥化した。9月ごろから、キリスト教民兵組織「アンチ・バラカ」が武装闘争を開始。周辺のチャドやスーダンなどの武装勢力も入り込み、事態を複雑にしている。

 引用のようにイスラム教とキリスト教宗教戦争の様相となっているらしい。

 キリストは、教義のために人を殺せとは言っていない。有名なのは、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」であり、「汝の隣人を愛せよ」である。

 しかし、古代から宗教は人を殺す。その一つが自分以外の宗教を信じる者は、邪教に侵された野蛮な人間だからというものである。そのためには、殺す対象は人では無く悪魔のようなものだからである。

 宗教の中で人と認められるのは、あくまで同じ宗教を信じる者だけであり、自分たちの宗教を信じないのは人の皮を被った異形なるものである。

 というわけで、第3者的な視線で言えば、人と人が殺し合いをしているように思えるが、当事者にとっては、相手は獣なのである。そういう解釈であれば宗教上人でなければ殺しても良いというのは当事者にとって至ってまともな考えなのである。

 自分もだが、日本人の多くは、多神教である。唯一の神の存在というものを肯定はしておらず、万物に神は宿るという考えに近い。

 その表れが、正月に神社やお寺に初詣を行い、結婚式はホテルの教会で牧師の前で愛を近う。多くの神に祈ることでそれぞれの神からご利益を得ることを良しとする。まさしく都合の良い所をつまみ食いすることが悪い事では無いと思う環境で暮らしてきた。

 それは、今までの歴史の中で、一つの神を信じたとしても必ず裏切られそして救済は得られないということを遺伝情報として知っているからである。こういってしまうと極端ではあるが、自分が困難に直面し、その時にもし救いの手が

差し伸べられるとしたら、その対象は、どの神でも構わない。

 そういった歴史の中で、宗教を信じるが故にその争いをするという理由が判らず、何故人と人とが殺し合いをするのか、宗教とは本来そんなものではない。というパラドクスに陥ってしまうのである。

 しかし、人は人である。その中に潜む獣の本能は、自分の利益を奪う者を敵として扱う事を許す。それが真の姿なのである。