猪瀬都知事は団塊の世代だった。

 晴れ、まだ朝日が昇り切らない。マイナス8度と冷え込み、道路はツルツルである。

 

 猪瀬都知事が辞任するらしい。結局辞任に至ったのだが、最初の選挙資金として受け取ったがお返ししたで留めておけば、選挙資金規正法違反で終わった事と思う。その結果辞任することは止む負えなかったかったもしれないが、今後何らかの活躍の場が得られたことだろう。

 それを苦しい言い訳に終始したことが自分のイメージダウンにつながったことを何故感じなかったのか?

 ただし、辞任した後、収賄で起訴されたかもしれないので何とも言えないが、すごく歯切れの悪い辞任の仕方をし、美学を感じられない。

 

 やはり終わり方にも美学がある。頭を下げ続け、何の弁解もしない。自分に浴びせられた疑惑に対しては真摯に回答する。自分に非が有れば認める。しかし、全ての非を認めろと言う訳でもない。周りを囲む何人かの記者にも恩情がある。その潔さを認めてくれるならそれ程酷い記事の書き方はしない。

 最近の身の引き方の一つにみのもんた氏の件がある。あれも酷かったと思わせる身の引き方である。あれ程、番組で責任者を吊るし上げのように非難し、身の引き方にも注文を付けていた。その上から目線の言い方に喝采を浴びせる人もいれば不快感を覚えた人もいただろう。

 更に印象を悪化させたのは、放送番組中のセクハラ行為が有ったのではないかと疑わせるような行為である。あれも弁解が苦しかったが、それに引き続いての次男の逮捕で、その時に夏休みをわざとのように入れてやり過ごそうとした。

 さらに成人した息子の罪は親に責任が無いという強気の発言は、身の処し方を散々非難していた割には自分には甘かった。更にそこに見える、これ程の人気司会者だから世間も許すだろうという驕りが画面から伝わってしまった事である。

 自分の番組で行っていたことがまさしく倍返しされたようなものである。

 団塊の世代の特徴なのだろうか?潔さの欠片もない。言い訳が通ればそれで済むという何でもありの環境で育ったのだろう。あの全共闘世代だからなのかもしれないが、自分勝手に行動し、風向きが変われば何事もなかったように振る舞う事が出来る世代でもあった。

 その後に生まれてきた世代は、彼らのために色々な影響を受けた。あの自由の反動から学校は厳しくなり、真面目というものが優先されるようになった。

 そして彼らが作り上げたものは、真面目社会だった日本に不真面目さを持ち込み、色々なものを代えて行った。変えた割には、自分たちの子供の世代がより自由になったかというとそうでは無く。却って自分たちと同じような生き方はさせない空気を作ってきたのではないだろうか。

 彼らは、日本を良い方向へ導く先導者では決してなく。自分たちが生きたいように生きるということを追い続けた今でいう中二病の走りだったかもしれない。

 ベビーブームで日本が得たものは何だったのか。彼らが作り続けたものが最終的には自分たちで消費尽くし廃墟を残し続けただけではないだろうか?

 そして、彼らが戦後の思想をリードできなかった原因は何なのか、団塊の世代に総括させたい気分である。時代は、変わったのである。そういった残滓は速やかに消し去らなければならないのだろう。それに続く世代は、彼らが残したものを振り払い自分で独り立ちせねばならないはずなのに、その重しがまだ肩に残っている。彼らの老後のためと国の借金のためにせっせと働かなければならない運命が待っている。