中韓と日本

 曇り、小雪がちらついている。マイナス8度。

 お正月気分はすっかり飛んでしまったが、今週末は連休となる。これでまた仕事を離れられるかと思うと少しやる気も起きるものである。

引用 産経新聞http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140108/plc14010822190016-n1.htm) 

首相、靖国参拝を「批判されるから参拝しないのは間違い」

 安倍晋三首相は8日夜のBSフジ番組で、昨年12月の靖国神社参拝について「誰かが批判するから(参拝)しないのは間違っている。批判されることがあったとしても(首相として)当然の役割、責任を果たしていくべきだ」と述べ、中国や韓国の批判に反論した。

 首相はまた、中国を念頭に「私を軍国主義者と批判する国が20年間、毎年10%以上軍事費を増やし続けてきた」と強調。平成25年度の日本の防衛費の伸び率が前年度比0・8%だったことなどを挙げ、中国の反発を「おかしい」と批判した。

 靖国参拝について、自分の持論としては30年前か、少なくとも10年前には国立の追悼施設を建立すべきだったと思う。靖国問題の印象はそれで大分違ったと思う。それをしなかった今、追悼施設の意味が正直薄れてきている状況で立てろと言う事にはならないだろう。その中で考えることは、時の流れに委ねてしまうという事になるだろう。自分たちの世代がこの世から消え去る頃には、第2次世界大戦の意味合いが非常に薄れてしまうからである。ただし、今の状況で時が流れれば中韓との関係は改善することはおそらく無いと思う。丁度、仲よくしてしていた友人と喧嘩別れをして関係が改善されない状況が続くような状態である。


 もう一つ重要な事は、マスコミの報道姿勢の在り方である。安倍首相が、中国の軍事力増強について述べているように、冷戦状態に世界が向かおうとしている時に中国の軍事力増強は脅威そのものである。本来なら中国に向かって軍事力増強の動きを批難すべき記事が新聞に載らないといけない。

 日本の自衛隊への支出が増加している状況を批難するのならそういったバランス感覚が必要である。もし本当にマスコミが平和な世界を求めているならである。

 日本が戦後、戦争に向かった反省から新聞社は日本を自虐的に捉える記事を書く傾向になった。そしてそのよりどころが平和憲法である。武器を持たず相手国と外交で戦争を回避するという精神である。

 それは、相手国が話し合いの場に立つ、相手国も武力をちらつかせないという前提条件が必要である。相手国が銃をちらつかせ話し合いの場に出てきた時に、どれ程の外交努力ができるだろうか?その役割をしろと記者は記事にするけれど、そういった外交ができる程、新聞記者は優秀なのだろうか?甚だ疑問である。

 相手の武器の前に屈服するか、それとも丸腰で相手に立ち向かい撃たれて話し合いは終了というのがもっとも有りえるパターンである。もしそれ以外に新聞記者ができるのなら外交は記者に任せた方が良いという事に成る。

 外交は、やはり相手に自分をどう見せるかである。綺麗ごとでは当然できないし、相手との力関係に依存する。もし日本が武力を持たず中国と対するには、もはや中国の武力は、終戦直後とは雲泥の差である。過去と今を混同してはいけないだろう。

 もし、中国と今の状況を続けるなら日本にはアメリカのバックアップが必要だろう。それが無ければ中国に従うか、日本も核武装をするしかないという結論に達してしまう。その中間とか曖昧な立場はこの先有りえなくなってくる。

 今の中国は、昔の中国では無い。幾ら近代化したとしても本質は変わらないからである。

 もう一つの日本に対して反日行動をとる韓国であるが、これまで経済的に自立できる状況にある。日本が友好国として関係を持たなくとも問題は無いだろう。これから日本が韓国に取るべき姿勢は、関係を徐々に絶つという事に限るだろう。余りにも近い国でありながら、間違った歴史認識を共有することは不可能というしかない。幾らその歴史が間違っていると教えても、その歴史を塗り替えてしまう国であり国民であるのだから、日本が正そうとすればするほど反発してくる。

 

 韓国もアジアの中の一つの国と考え、そういった国々と並列に扱うべき時が来たと思う。余りにも韓国との関係を持ち過ぎたし、それを持とうとして行った日本の行為が反対に韓国人のプライドを傷つけたのだろうと思う。

 韓国が思う日本の努力は、敗戦国だから当たり前、日本は韓国の下に位置する国であるから当然という受け入れ方であるなら、何の効果もないし却って逆効果ということになる。

 自立した国として扱うのなら、韓国を特別な国として扱う事は必要ないし、アジアの中の一つの国、世界の中の国として全て平等に扱うべき時に来たと思う。