インターネットのある世界

 晴れ、気温はマイナス17度。非常にしばれる朝である。顔を出して外を歩くと頬が凍りつく、あぶない。

 ここ数日、非常に冷たい寒気が北海道上空に有り、その冷気は、風が吹き飛ばすのではなく、丁度冷蔵庫の冷却部分が上空に固定されているような状態で、例え暖かい空気が入り込んだとしても直ぐに冷やされてしまう。ここから抜け出す方法は、北海道を抜け出すしかない。

 話は変わる。

 インターネットは非常に便利な道具である。それは万人が感じることだろう。調べ物を思い、語句を入力すれば、誰かが上げた情報を読むことができる。常に情報が手元にあるという事は、図書館がそばにあるようなものである。

 しかし、その情報も検索しなければ出てこない。何か新しい話題を知りたいと思った時に、その検索語が判っていたら簡単なのだが、今話題のトレンドを調べるにはやはり語句が必要である。

 そういった弱点を補うためにポータルサイトというものがあるのだが、何時も表示される情報が自分に合っている物とは限らず、そのポータルにも表示されない情報があるかもしれないし、それ以上に不都合なことは、恣意的に情報を偏らせ見るものを誘導している可能性もあるのである。

 その一つが、自分たちに不利な情報はとことん見せないというものだろう。その良い例が中国のインターネット網だろう。政府の監視下で為政者に不利な情報は排除するというものである。

 それよりは極端ではないが、情報の収取選択は、Googleでさえ行っている。インターネットを見る際に気を付けなければいけないのは、自分がアクセスしている情報はにバイアスが掛かっている可能性がある。

 今の時代、非常に若い世代も手軽にインターネットにアクセスでき、その情報は年齢に係らず表示される。それを目の当たりにするのを怖れ情報を隠ぺいしようとすれば、それとは関係ない悪意の無い情報も引き摺られ消えてしまう可能性もあるはずである。

 本当に自分の必要な情報はやはりインターネット経由であっても、全て手に入れることは不可能である。今までの歴史の中で蓄えられてきた情報というのもやはり地層のように埋もれて行く。誰かが掘り起し発掘しなければ20年前のデータは、日の目を見ないまま埋もれて行く。我々が見ている情報は、地面の表面を見ているだけなのだという事も知らなければならない。