躓き

 晴れ、気温はマイナス10度と冷え込みが戻った。風があるため外を歩くと耳が千切れそうになる。


 人生が長いと必ず躓くことがある。その躓き方に大小はあれど生きて行くとたまに巡り合う。その時、どう対処するかでその後の人生が変化する。

 その対処法で重要なのは、周囲からの支援である。躓き倒れ込んでいる自分の横をそ知らぬ顔で他人が通って行くときほど惨めなものは無い。

 ただし、その支援も何時まで受けられるとは限らない。小さい頃なら両親がいて自分が大きくなるまで支えてくれただろうが、中学、高校になるとそうもいかない。

 

 既に自立した自分に自我が芽生え、親離れをしようとするため、倒れ込んだ自分を親が抱きとめようとしてもその助けを振りほどこうとする。それが成長の証なのだろうが、そのまま倒れ込み立ち上がることができない人間も出てくる。

 

 その試練を乗り越え社会に飛び出していくわけである。その間に多くの躓きを乗り越えた人間ほど耐性があると思うのだが、やはりその躓きの多さに負け、心が病むものも出てくる。

 では、他人の支援を受けずにその躓きから直ぐに立ち上がりファイティングポーズをとることができる人間に成るにはどうしたら良いだろう。

 一つの方法は、やはり直ぐに忘れてしまう事だろう。簡単に書いたが実際その記憶を全て消し去ることは不可能である。どこかに残る傷跡は、やはり自分に苦い記憶をもたらすが、それが無ければまた同じことを繰り返すのだから、傷跡は勲章みたいなものである。受け入れるしかない。

 ではすぐ忘れてしまうにはどうしたら良いのだろう。それは新たに踏み出すものを見つけることである。その新たに踏み出すものは、何でも良い。大きなことでも小さなことでも何でも構わないのである。

 そこに自分の力を降り注げばよい。そうして躓いた自分を別なところから這い出し、どんなに格好悪くとも又歩き出すのである。その時誰かの力を借りるのも良いだろう。それはどれだけ心強い事だろう。

 自分のこれまでの人生を振り返っても、多くの人の援助を受けてきた。そのことは、非常に感謝している。もしそういった援助が無ければ、自分も冷凍食品に農薬を入れる人生を歩んでいたかもしれない。